統計学とは何か?

私たちの労働者社会が重んじてこなかったものの1つであり、そしてこれほど生き方の指針や成功法や、そしてあなたが何者であるかということを長年の研究の中で解き明かしたものはない、古代からの学問である。

資産家の先生は、やることなすこと全て資産家レベルの方であり、当然、信憑性のない情報は持ちいらないし、全てにおいてクオリティの高い人だ。

そんな方が使っている統計学とは一体何だろうか?

例えば、僕が資産家の先生に一番最初に教わったものはユダヤの統計学というものだった。世界資産家であるユダヤ人は「統計学も知らずにビジネスをやるのは命取りだ」と断言するそうである。

ユダヤの統計学は、誕生日からその人の生まれ持った特性を計算によって導き出す。

 

この算出のされ方はどこか馴染みのある感覚かもしれない。皆さんも統計学と言って、今まで誕生日から自分は一体どんな生まれ持った素質があるのか?まるで占いのように導き出した経験があるだろう。

では日本人も統計学を使ってきたと言えるのだろうか?

日本人は労働者社会の住人であり、ユダヤ人は世界資産家という社会の住人である。この圧倒的な違いは一体何だ?なぜ日本人とユダヤ人を比較したときにこんなにも結果が違うのだろうか?

統計学と称して私たちが使っているものに何か欠落しているものがあるのではないか?事実、統計学の使い方が労働者社会の人間と資産家社会の人間では全く違うのである。

あなたの夢や希望がまだ叶ってなくて、理想的な人生を手にしてなくて、そして自分自身が何者なのか未だ迷走していると言うならそれは統計学を使っていると言えないのである。

世界資産家と比べて私たちは統計学というものを使いこなせていない。それがそのまま人生の差として表れている。

世界資産家の社会は、私達の社会と比べて圧倒的にレベルが高い。かといってそれをコンプレックスに当てないでほしい。

もしあなたが知っていることこそが世界で一番素晴らしいと言うなら、 あなたの人生はそれ以上発展することがないだろう。人生が発展するためには「今まで知らなかったことがある」ことが必要なのである。それならばそのような圧倒的に上のレベルのものが存在するなら喜ぶべきだ。

世界資産家の使う統計学、私たちの社会にそれを知る人間はいない。そんな現実に現れ手を差し伸べてくれたのが世界資産家の先生だった。

その先生が手にしているものはユダヤの統計学だけではない。

なんと資産家の先生は世界で優れていると言われる32種類もの統計学を用いる。 

統計学というものは長い歴史の中で原初のカタチが失われ、枝分かれに派生しているものもあるそうだ。つまり原初のものがカタチが変わって失われてしまっているものもあるらしい。

資産家の先生は、だからこそご自身の資産を投じて様々な統計学を調べられた。歴史の途中で失われていた重要な部分とは何なのか?ということも調べられた。これほど万全に統計学を多用されている方は他に存在しないのではないかと思う。

それらの統計学は、 あまりに当たりすぎてまるで予言ではないかと思われるものや、何千年も前の古代文明の人々が現代の私たちを見ていたのではないかと思うほど、驚くことが明確に書かれている。


 

(つづく) ⇒「統計学とは一体なにか?(3)」はこちら