白シャツの隙間に忍ばせる魅せレースキャミソールで自分を好きになる日

白シャツから覗くレースキャミソール

朝、コンビニの前のアスファルトがまだ少し湿っていて、冷たいのに空だけがやけに明るい。

 

二月の東京って、こういう「冬が終わるフリ」だけ上手い。駅までの道はいつも通りで、私もいつも通りの顔をして歩く。…はずだったのに、改札の前でスマホを落として、しかも拾おうとした瞬間にストッキングが伝線した。

 

ほんの数ミリの線なのに、その日が全部「うまくいかなかった日」になった気がして、すごく悔しい。

会社では誰も気づかない。気づかれないことが、今日に限っては救いでもあり、寂しさでもある。トイレの鏡で伝線を見つめながら、私は「たかが」と「されど」の間で、ずっと足踏みしていた。そういうときって、なんでよりによって予定がある日なんだろう。

今日は仕事帰りに、友達に紹介してもらった人と軽くお茶だけすることになっていた。恋の予感というほど大げさじゃないけど、ゼロでもない。ゼロじゃないからこそ、いちいち自分の粗が気になる。

それで昼休み、何の気なしに通販を開いて、目に入ったのが「魅せレース キャミソール」だった。

 

名前がもうずるい。見せるの?見せないの?って、私の心みたいに曖昧。レースを“隠す”ためのインナーじゃなくて、“見せる”ためのレイヤード。

 

サテン生地で、重ね着で、きれいめで、フェミニンで、フリーサイズ。

 

 

 

説明文だけで、たぶん私は「背筋を伸ばせそうな自分」を買おうとしている。現実の私は、ストッキングが伝線しただけで半日へこんでるのに。それでも、画面の中のレースは、やけにやさしく見えた。

【半額クーポン対象】として紹介されていて、価格は4,980円、しかも予約販売で入荷予定が(1)2月12日、(2)3月19日と書いてある。

 

届くのは少し先。すぐに魔法は起きない。たぶんそれが、今の私にはちょうど良かった。いますぐ変わるのは無理でも、「変わるかもしれない」を棚に置いておける感じ。

 

冬の終わりって、そういう“先送りの希望”が似合う。
 

うまくいかなかった日の、レースという言い訳


鏡の前で私はいつも、少しだけ自分に厳しい。眉の左右差とか、頬の乾燥とか、首の角度とか。今日みたいにスタートでつまずくと、その厳しさが急に鋭くなって、自分にだけ刃を向ける。「どうせ私なんて」という言葉は口にしないけど、脳内では簡単に流れてくる。誰にも見せない分、どんどん上手くなる。嫌なスキル。

キャミソールって、本来は「見えないもの」の代表みたいな存在なのに、この“魅せレース”は逆だ。見えないはずのものを、わざと見せる。しかも、露出というより「抜け感」みたいな顔で。

 

ずるいなぁと思う。だって、私が今日隠したいのは、伝線だけじゃなくて、うまくいかなかったという事実そのものだから。なのにこのキャミソールは、うまくいかなさを“レースの端っこ”にしてしまう。隠さずに、でも全部は見せずに、ちょうどいい具合で。

たとえば、白いシャツの下に忍ばせて、胸元から少しだけレースがのぞく。

 

誰かに「それ可愛いね」って言われたら、私はたぶん「え、これ?インナーだよ」って、わざと軽く言う。自慢したい気持ちも、照れも、ちょっとした防御も、全部を一文に押し込めて。

 

そういうのが、大人の“かわいい”なのかもしれない。ほんとは褒められたいくせに、褒められると怖い。期待が生まれるのが怖い。期待って、次に失敗したときの落差も一緒に連れてくるから。

今日のお茶の約束も、そう。会う前から「うまくいかなかったら」を用意してしまう。伝線も、寝不足も、仕事のミスも、全部「今日がダメだった理由」にできるように。理由があれば、心が折れたことを自分で許せるから。私は、自分に優しくしたいのに、優しくする方法が下手だ。

そういえば、最近は服を選ぶとき、目的が「快適」か「防御」になっていた。寒さから守る、視線から守る、期待から守る。守るのは得意なのに、魅せるのは苦手。だから“魅せレース”という言葉に、少しだけ腹が立ったのかもしれない。私の弱いところを見抜かれた気がして。

それでも、少しだけ見せたい夜がある

仕事帰り、駅ビルのトイレで、私は伝線の上からハンドクリームを塗ってごまかした。ばかみたいだけど、そういう小さな処置で気持ちが落ち着くこともある。鏡に映った自分は、思ったほど崩れていなかった。

 

むしろ「崩れている」と決めつけていたのは、私の中の声だった。

お茶の席で相手が何を話したかは、あまり覚えていない。ちゃんと笑ったし、ちゃんと頷いたし、たぶん変なことは言っていない。でも、帰り道に思い出したのは、相手の言葉より、私の中の「まだ足りない」がうるさかったこと。

 

もっと上手に話せたはず。もっと可愛くいられたはず。もっと…って、何を。誰に。私は自分の採点表を持ち歩きすぎている。

家に帰ってコートを脱いだ瞬間、ふっと肩が軽くなった。誰にも見られない部屋って、最高の逃げ場であり、最高の本音の場所でもある。ここなら、今日がうまくいかなかったことを、やっと認められる。認めたところで、世界は何も変わらないのに、胸の中だけが少し静かになる。

そんなタイミングで、昼に見ていた“魅せレース キャミソール”をもう一度開いた。サテンの光沢って、近くで見ると意外と繊細で、派手じゃなくて、むしろ慎ましい。

 

レースも、主張というより「余韻」みたいに配置されている。たぶん私は、あの余韻が欲しい。人に見せるためというより、自分が自分を見るときに、少しだけ優しくなれる余韻。

予約販売っていうのも、私にはありがたい。届くのが先ということは、今日の失敗と、その先の私を切り離してくれるから。今日の私はうまくいかなかった。でも、二月十二日とか三月十九日あたりの私は、まだ分からない。分からないことが、救いになる日がある。

買うか買わないか、まだ決めていない。今の私は、決めきるより、迷っていたい。迷いの中にいるときだけ、感情がちゃんと生きてる感じがする。決めた瞬間に「正解/不正解」の判定が始まって、また自分を追い詰めそうだから。

でも、ひとつだけ思った。見せることって、派手になることじゃない。強くなることでもない。もしかしたら「自分の中の弱さを、上手に飾ってあげること」なのかもしれない。

 

伝線を隠すのに必死だった朝の私も、帰り道にふっと肩が軽くなった私も、どっちも本物。どっちも、誰かに見せたくないけど、誰かに分かってほしい。

だから、レースのキャミソールのことを考えている。レースの端っこみたいに、少しだけ。全部じゃない。全部見せたら、たぶん怖い。だけど、少しなら。少しなら、私も明日を続けられる気がする。

結局、今日うまくいかなかったのは、ストッキングだけじゃなくて、私の心の扱い方だったのかもしれない。私は自分のことを、いつも「ちゃんとしなきゃ」で包んでしまう。レースみたいに透ける部分を残すのが、苦手だ。

今夜は、買い物かごに入れたまま閉じた。決めないまま眠る。決めないからこそ、明日の朝、少しだけ違う気持ちになれるかもしれない。

——“魅せる”って、誰のためなんだろう。