頼られてもいないのに遠慮してしまう夜、助けを受け取るのが苦手な自分に気づいた日

カフェでスマホとノートPCを使う女性

今朝、カーテンを開けたら、空がいかにも冬の色でした。白っぽくて、冷たくて、どこか無表情。ベッドから出るのに一回深呼吸が必要な季節って、ある意味ちゃんと人間を試してくる。

 

洗面所で顔を洗って、湯気の残る鏡にぼんやり映る自分を見て、「今日も平常運転でいこう」と、小さく言い聞かせました。クリスマスイブだとか、街が浮かれてるだとか、そういうイベントの空気は、私の生活とは別のレーンにある感じがして。

 

だからって嫌いじゃない。ただ、同じ電車に乗りながら、みんなが別の音楽を聴いているみたいで、ちょっとだけ置いていかれる。

 

通勤バッグの中で鍵が当たってカチャカチャ鳴る音が、やけに大きく感じた朝でした。

 

Cafe de Paris

 

「大丈夫」のクセが出た日

昼休み、会社の近くの小さなカフェに入りました。ランチ難民になりかけて、寒さに負けて、とりあえず“温かい飲み物”を確保したかっただけ。メニューをじっくり読むほどの余裕もなくて、「ホットのカフェラテで」と言って、空いている席に滑り込みました。

 

席は入口に近くて、たぶん一番落ち着かない場所。けど、今日はそこしか空いていなかった。外から入ってくる冷気が、ドアが開くたびに足首にまとわりつく。私の人生も、こういう“落ち着かない席”を選びがちだな、って思った瞬間に、コートの袖がカップに当たって――やってしまいました。

 

ラテが、テーブルの上で小さな波になって、私のハンカチと手帳の端を濡らしました。派手にこぼれたわけじゃないのに、なぜか心の中ではスローモーションで「終わった…」って声が響いた。周りの人が一斉にこっちを見た気がして、体温が一気に上がる。こういうときの私、顔だけ先に真っ赤になるタイプです。

 

店員さんがすぐに気づいて、布巾と新しい紙ナプキンを持ってきてくれました。しかも、当たり前みたいに自然な手つきで。「大丈夫ですか?熱くなかったですか?」って。

 

その瞬間、胸の奥がキュッと縮んで、反射で言いました。

 

「すみません、大丈夫です!」

 

……いや、正確に言うと、大丈夫じゃない。

 

手帳はちょっと濡れてるし、ハンカチもびしょっとしてるし、心は全然落ち着いてない。なのに、口から出るのはいつも“問題ありません”の顔。

 

店員さんが「新しいの作り直しましょうか?」と聞いてくれたのに、私はまた言ってしまった。

 

「いえ、本当に大丈夫なので…!」

 

このとき、誰にも言わなかった本音がありました。

 

“お願いしたら、私が迷惑な人になる気がする。”

 

変ですよね。助けてもらえる場面なのに、助けてもらうことの方が怖い。

 

こぼしたのは私なのに、対応してくれる相手の手間を想像して、勝手に申し訳なくなって、勝手に自分を小さく畳んでしまう。

 

こういうの、たぶん私だけじゃないと思う。

 

「頼りたいのに頼れない」って、ちょっと情けなくて、ちょっと切実で、妙にリアル。わかる…。

 

店員さんは「わかりました、何かあったら言ってくださいね」と笑って去っていきました。その笑顔が優しすぎて、逆に目が合わせられなくなった。優しさって、受け取る側の準備ができていないと、まぶしすぎるときがある。

 

私は濡れた手帳の端をナプキンで押さえながら、ラテの表面の泡だけを見ていました。泡がふわふわしているのに、心の中はザラザラする。


“私は今、なんでこんなに居心地が悪いんだろう。”

受け取るのが下手な私

店員が女性客にパスタを提供

カフェを出る前、レジの横に小さなアンケートQRが置いてあって、ほんの一瞬だけ迷いました。書いても書かなくても、世界は変わらない。けど、変えたいのは世界じゃなくて、たぶん自分の反射みたいな癖。

 

だから、スマホで読み込んで、短く入力しました。


「こぼしてしまったのに、すぐに対応してくださって助かりました。ありがとうございました」って。

 

たったそれだけ。名前も書かないし、長文でもない。だけど送信ボタンを押したとき、胸の中のザラザラが少しだけほどけました。

 

あの場で「作り直してもらえますか」って言えなかった私が、せめて“受け取った”ことだけは否定しないでおこう、と思った。

 

帰り道、電車の窓に映った自分が、朝より少しだけ疲れて見えました。クリスマスのイルミネーションが流れていくのに、心はまだカフェの入口に置いてきたままみたい。


でも、ひとつだけ気づいたのは、「大丈夫」って言葉は、相手を安心させるためじゃなくて、自分を早く片づけるために使っているときがある、ってこと。

 

“迷惑をかけない”って、たしかに大事。だけど、そればかりが上手くなると、誰かが差し出した手まで避けるようになる。そうなると、ひとり暮らしって「自由」だけじゃなくて、「なんでも自分でやる」っていう小さな意地の集合体にもなるんだな、と今日の私は思いました。

 

今日のささやかな変化は、たぶんこれです。


助けを“上手にお願いする”ところまではいけなくても、助けを“受け取ったことにする”練習はできる。

 

しかも、すごく小さく。

ポジティブにまとめるなら「成長したね」で終わる話かもしれないけど、正直そこまで立派じゃない。

 

明日になったら、また反射で「大丈夫です!」って言うかもしれないし、今夜もきっと、ひとりの部屋で「なんであのとき素直に言えなかったんだろ」って布団の中で反省会をすると思う。


でも、その反省会の時間が少し短くなったら、それだけで十分かもしれない。

 

ねえ、今日あなたは、誰かの手を借りる場面があった?


そのとき、ちゃんと「助かります」って言えた?それとも私みたいに、笑って「大丈夫」って言ってしまった?