いやあ。放置も放置のブログ。

 

 

すみません。

 

 

お久しぶりです。

 

 

さて、読んでいただけるのかという。

 

 

こちらもいろいろ手直しというか、更新しないとというくらい、いろいろ変更が必要。

 

 

今日は、実は、塾のHPとして使っているjugemのほうを手直ししていたのですが、

 

 

私の力量に限界があり、

 

 

もう、ここ(jugem)では、限界!

 

 

ブログって、こんなに大変やった?

 

 

選ぶところが悪かった?

 

 

ということで、撤退を決意しました。

 

 

塾はやめへんよ。

 

 

HPの移転という意味です!

 

 

実は、結構ブログは書いてきたのよ。

 

 

でも、これだけ、やりにくいのは、終わる~

 

 

まあ、私に力がないのが、原因なので。

 

 

どこにもっていくか、検討中です。

 

 

ちなみに、あちこち、やりかけありなの。

 

 

 

 

 

 

昨夜、テレビを何気なくつけると、NHK BSでは、

「満州 難民感染都市知られざる悲劇」

をやっていた。
 
満州。母が生まれた地。祖父が、歯医者で、開業していた地。
 
 
祖父は、もうこの世にはいない。
 
お医者さんは、みな、なかなか、日本に引き揚げできなかったとは聞いてはいたが、そうだったんだなと、番組を見て、
納得していた。
 
さらに、そういえば、祖父の歯科の学校は、たしか、けいじょうといったな。
それに、小さいころ、そのけいじょうを出た先生方の会合に一緒にでかけたことがあることを思い出した。
赤穂に行ったはず。
 
けいじょうは、どう書くんだっけ?
 
結局、スマホで、いろいろ調べていたら、京城医専(京城医学専門学校)だなと、わかった。
 
1945年に学校は無くなっている。
 
これも、たしか、母からだったか、聞いていたとおり。
 
そして、京城医専は、どうやら、朝鮮半島にあった。
 
祖父の父親が、満州鉄道で働いていた。だから、祖父は、その学校に行っていたのだろう。
日本に卓球の選手として、試合に来たことがあるらしい。
 
祖父のもともとの家は、東京と聞いたが、先祖は、姫路城に仕えていた。
つい、こないだまでは、その姫路のそばのお寺に、お墓があり、眠っていた。
(事情があり、お墓は今は、自宅のあった西宮に移された。)
 
ああ、よくわからない。ルーツについては、本人にもっと聞いておくんだったと後悔。
 
京城医専について書かれているものを読んでいくと、戦後の日本人の大変さが、偲ばれる。
 
母は、大連に暮らしていたそうだから、その気になれば、もっと、早く日本に帰れたのだろうが、
おそらく、祖父は、長く大陸にいたので、なかなか、日本に帰りたくなかったと聞く。
 
テレビの満州医科大学の先生や、ご家族の方は、さぞ、日本に帰りたかっただろうと想像するけれど、祖父は、
一体、何を考えていたのだろう。
 
祖母が引っ張って、日本に帰ってきて、引き揚げ後、しばらくは、鹿児島にいて、それから、神戸へ出てきた。
 
神戸で、歯医者を開業。
 
ちょうど、神戸の三越百貨店があった近く。今は、ホテルになっているが、阪神大震災で、被害があり、以降閉まっている。
 
たぶん、開業2軒目は、海側に近く、3軒目は、阪急の高架の南くらい。3軒目は、今まだ、建物が残っている。
 
祖父の次男は、歯医者になり、その娘が、唯一祖父の血をひく歯医者として、今も、現役。
 
私も、少しの間だったが、祖父の歯医者の看護婦役のお手伝いに行ったことがある。
 
しかし、全く、歯医者になりたいとも、歯科衛生士になりたいとも思えなかった。
 
今も、思えないが。爆  笑
 
 
とまあ、記憶にとどめておきたかったので、ブログに記載。
 
普通の人には、なんら面白くもないね。
 
 
しかし、もし、マイヒストリーに興味があるなら、親や、祖父母が生きているうちに、聞いておいた方がいいですよ。
 
 
 
 
 
 
さて、診察終了。


次男は、口内炎だったそうで、


私は、何にも特にないと、言われてあせる


結局、疲れ❓


久しぶりに歯石も取ってもらえて、よかったとします。


なんと2年ぶりに来たと言われて💦


次男は、綺麗な歯と言われて、ご機嫌。


なんともなくて、よかった。