沈黙ーサイレンスーを観てきました。
自分は神を信じるか。
何度も考えたことがあります。
私が出した答えは「私にとっての神様は、ブッダでもキリストでもムハンマドでもなく、自分の心の中に在る」でした。
だけど、信仰があればいいなと思ったこともあります。
命を捨ててもいいと思えるほどに大きな神の存在。
どんな出来事が起こっても、神を理由にできることは、怖いことでもあるけれど、ある意味楽だと思うからです。
小さい頃、図鑑に載っていた踏み絵がものすごく怖かったことを思い出しました。
踏み絵が載った図鑑でさえ、もしも踏んでしまったら何かとんでもなく怖いことが起こるんじゃないかと恐れていました。
今の私には、残念ながら踏み絵を踏めない気持ちは理解できません。
自分の体に対する拷問より、自分が神を信じることが信徒の拷問や死に繋がることへの辛さ。
それでも棄教できないほどの沈黙の神への強い気持ちって何なのだろう。
映画には弱い‘キチジロー’という男が登場します。裏切っては赦しを請い、悩み苦しむ司祭の前に何度も何度も現れます。
まるで司祭の心を試すかのように…
私はキチジローこそが実は神なんじゃないかと少し思ってしまいました。
受け入れるとは?
信じるとは?
赦すとは?
気分転換♡という明るい気持ちにはなれなかったけれど、今の悩みや想いにも通じるところがあって、いろいろ深く考えることができました。
神の沈黙とはまた違いますが、ほとんどBGMのない、虫の声、波の音、風の音の静けさの中で、台詞や動きがとても効果的に表現されているのも、もう一つの沈黙として感じ、印象に残りました。
