こんばんは
少し前に仕事でミスをしたということを
ブログに書きました
それから仕事では後始末?に追われてまして、
モヤモヤすることもあり、
ノートを書いていたら、気づきがあったので、
シェアします
↓以前の記事❤️
この記事を書いた時、
失敗しても自分の価値は無関係と書きました
それは、その通りなのですが、
私の気持ちの根底に無意識に、
失敗した自分をみない
失敗した自分はなかったものとして扱う
としていました
まず、後始末のタスクをするのがとってもいやで
なんでこんなに嫌なのか、
ノートに書き出そうと思ったんですよね

そしたら、そのことを思い出したり、
そのことについて書くのが億劫だなと思ったんです

思い出したくない
ふたをして忘れたい
この痛みをなかったことにして、身を小さくしてこの時をやり過ごしたい
そんな気持ちが出てきました
失敗した自分を直視できなかったんですね

それが怖かった



失敗する自分は自分じゃないっ!って
無意識に思ってたみたいです
ん?
そしたら自分をまるっと受け止めてることにならないよね!?
つまり、しっかりと
失敗する自分は✖︎
成功する自分は○
と自分自身でやってたわけです



それは辛いに決まってる笑
私は、失敗した自分も含めてまるっと受け入れたい
とおもいました
失敗した私も価値のある自分の一部ですもんね

見ないふりって無視してるのと同じこと。
失敗した自分なら無視するってひどいよね。どんな自分であっても真正面からみて、まるごと愛したい
と思いました。
よく使われている、まるごと、って
こういうことを言ってるんだなぁ、と腹落ちした瞬間でした
嫌な自分をみないでも、いい自分のみをみるということでもないんですね



それと同時に
悪い自分をみてあげるって、本当にすき、大事にしないとできないことなんだなぁ
と思いました。
仕事のミスでのタスクが嫌なことには変わりがないですが笑、自分は自分の味方でいてあげようとおもいました
それでは、また更新します