今日は8月15日。
あの日から73年目の夏です。

実父の生まれが1945年であることを除けば、直接的な戦争世代ではもちろんありません。
その実父は「兎に角貧乏だった」ということくらいしか幼少期の話をしてくれませんでした。いまとなってはあっちの世界に行ってしまい、聞くことすらでしません。
きっと、語りつくせないほど壮絶な日々だったのかもしれません。思い出したくもなかったのでしょうか。
本当は酒を飲みながら、本音の部分を聞いてみたかったです。

そして、1945年8月15日に戦争が終わったからこそ、実父はこの世に生を受けました。
大袈裟でなく、その先もまだ戦争が続いていたら、大きなお腹を祖母は抱えながら、防空壕に避難できたかわからないからです。
玉音放送をどんな想いで聞いていたのか、想像するだけで胸に去来するものがあります。

さて、なぜSNS全盛の中であえてblogを始めたのか。
その理由はなんてことない、パブリックな場所で責任を持って発言したいと思ったからです。

Facebookにせよ、Instagramにせよ、Twitterにせよ、鍵をかけられるメディアです。私的なことを一部の人にお伝えするのは使えるのですが、自分のパブリックな想いを伝えるのはちょっと向かない。長文を書いても読まれることなく「イイね」が付いてしまう。
それなりに時間を使って文書書いているのに、適当に読まれるのは寂しいな、と思ったわけです。

73回目の夏を迎えて。
二度と同じ想いを未来永劫味わってはいけないと思います。

平和ボケで何が悪い!

声を出してそう言いたい!

ここからがパブリックなコメント。
次期国会で「憲法改正」の発議があるとかないとか。

冗談じゃない!

「隣国が騒がしいので憲法改正して何かあったら防衛できるようにします」って、憲法の在り方を根底から覆す話です。
憲法って、そんな目の前の話のためにあるもんじゃない。謂わば「日本国民としての石杖」みたいなものであって、大きな括りとしての「日本という国の位置付け」を示したものなはず。

確かに隣国は騒がしい。
でも、憲法改正とかいうから余計に騒ぐわけです。
日本は世界に類を見ない「交戦権の放棄」をした憲法を有する国なんです。向こうが「戦おうぜ」と言ってきても「うち、知らないよ」で通せばいい。
ついでにいうと、領土問題を以って憲法改正を唱える向きもありますが、これもお門違い。領土は国際法で決めているものであって、それ以上でも以下でもない。

危惧しているのは73年間、信頼と安心を勝ち取ってきた世界に唯一つの「交戦権の放棄」を謳った憲法が「集団的自衛権の行使」という一言でなし崩し的に失われないか、ということ。
あくまで解釈云々ではなく、文言の中で堂々と謳われていることが大切。

これまでのネットも含めたあらゆる議論は飽きるくらい聞いてきたつもりです。
そういうのではなく、明快に誰でもわかる形でより具体的な「平和憲法」を作るなら、憲法改正も大歓迎なのですけどね。