皆さまは、自分自身に対する責任を客観的に考えたことがありますでしょうか。
なんというか。これは生きてきた上での意識づけというか、教育された結果だと思いますが・・
今は昔に比べると、簡単にやりなおしができますよね。
仕事ではあわないと思えば年齢の問題はありますが転職という道が、
目的地へ移動する場合は、これまでは事前に調べていたものが、道に迷ってしまったらその場でスマホで検索・・・。
10年前と比べても、スマホなどの登場で社会がだいぶ変わりましたね。便利になりました。
でも、この「便利」のせいで、一つのことに対する重みというか、
覚悟というようなものが薄くなったような気がします。
これはいろんなことに対してそう思うのですが、例えば
モノが簡単に手に入るようになって大切にしなくなったのと同じで、
結婚や夫婦関係も同じになってしまったのではないでしょうか。
それが悪い方向にいってしまった意識として「不倫して(バレて)もなんとかなる。」
ただ、ここで不倫側のマインドとしては「自分の人生のやりなおし」なので、
パートナーとの関係、相手のことは頭にない場合が多いのではないでしょうか。
やり直せすことができるのは確かに大事ですが、不倫などは必ずしも、これまでの
夫婦生活がもうだめだ!になった挙句の選択肢ではなく、パートナーは差し置いて
自身「のみ」の意思で選んだもの。
つまり、それまで築き上げてきた関係や、責任を放棄する道を選んだような形ともいえます。
・・・責任ってなんでしょう?
辞書では「立場上当然負わなければならない任務や義務」とされています。
この責任・義務の対象は自分以外の他人に対するもの、と言えると思いますが、
それより個人・自分自身の意思が重視されてこのような行動に表れているのではないでしょうか。
とすると、危険な考え方ですね。
・・しかし、不倫などの家庭を崩壊させる行為を男性にフォーカスするなら、
昔の男性はこの責任・義務の点においてはるかにその役割を認識し、担っていたのではないかと思います。
昔の夫婦で離婚が少なかったのは、二人で力を合わせないとやっていけない、
貧乏だったから、という点もあるとは思いますが、それ以外の面もあったと思います。
それはよい意味で男性の役割、女性の役割が分かれてて、それを果たすための教育が充実していたからでは?
と思えてなりません。
教育と書くと大げさなので、しつけとでもいうのか・・・
ただ単に自分の意志で他の女性になびいてしまう、というのは
不倫するのであれば、経済状況に関わらず昔も今と同じレベルで
不倫や離婚があってもおかしくないと思います。
別の表現ではパートナーと生きていく「覚悟」が薄まっているのかな?とも。
そういう意味では、覚悟が必要な時代じゃなくなっているのかもしれませんね。
もっとも、今後も今の状況が続くかはわかりませんが・・
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
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