子どもを信じるって、何を信じたらいいんだろう?って思ってた。

でも、本を読んで目にした「自己発達力」「自己治癒力」
これだ!って思った。

子どもには、自分を成長させる力、発達させる力をもっている。
心に傷を負った時、自分で立ち直ろうとする力をもっている。


その力を信じること。

 

そして、その力が発揮できるような環境を整えることが

親の役割なんだ。

 

モンテッソーリ教育でいう「自己教育力」

そうだった。子どもってすごいんだ。

人間ってすごいんだ。

 

いくつになっても、成長できるし発達できる。

そうだよね。

 

私だって、できるんだ。

 

希望が湧いてきた。

 

 

久しぶりの投稿!

今日は一粒万倍日。


過去のブログを読みながら

色んなことを思い出していた。


母の入院。

介護4になり、退院しても今までのような

独り暮らしの生活はできないと言われたあの日。


もっと親孝行すればよかった

たわいもない日常に宝物があったこと

もうそこには戻れないのかと絶望したこと


だから、また日常に戻れた時には

嬉しかった


わたした出来る限りのことを

尽くそうと決めていた


なのに、日が経つにつれて

日常が当たり前になり

宝物が見えなくなってしまった


自分のメンタルを保つことさえ

危うい出来事があり

母とぶつかった


どうして分かってくれないの?

と腹が立った


悪気はなかったのだろう

でも、あの時は許せなかった


ありがとうって母から何度も言われてるのに

それを受け取れてなかった


兄姉からも母のお世話をしていることに

感謝の言葉もなくて‥


「妹がやって当たり前」

思ってるのかな?とさみしくなった


何もやらない兄や姉


会いにも来ない

電話がきても自分のことばかり


それなのに2人を想う母


私ばっかりこんな頑張ってるのに

ずるくない?


ちくしょー!!


怒りが湧いた。


悲しかった

苦しかった


報われない

いつも、いいところは持っていかれる


ちくしょー

ちくしょー


いや、まてよ。


母の近くにいて

母にありがとうって言われて

母と美味しいものを食べて

笑い合える私は幸せなのだ


幸せを独り占めしてるのだ!!


そう、独り占めしたかったんだ

だから、本当は苦じゃなかった


お母さんのありがとうが欲しくて

私がいてくれてよかったと言って欲しくて

かけがえのない大切な娘だと思って貰いたくて


ずっとずっとずっと

小さい頃から頑張ってきた


反抗したかったけど

そんなことして見捨てたら

死んじゃうじゃないか


お母さんを守ることが

私の生きる道だった


どうしていつもうまくいかないのか?

どうしていつも満たされないのか?

どうしていつも上手くやれないのか?


不器用で報われない自分が

悲しかった


頼りにならない兄と姉

美味しいところで大活躍の兄

何もしなくても気にかけてもらえる姉


わたしだって

何もしないで愛されたかった


兄と姉に不満をぶつけた

兄には倍返しされた

姉は泣かせてしまったかも


謝りたくない


思った時にパッと

行動したり言えたらいいのに


言おうかな?どうしよう?と

タイミングを計っているうちに


次でいいかな?

もう無理だよね‥


思考が固まり

動きが止まり

諦めてしまう


それでいて

あとから後悔する


あの時言えたら楽だったのに

言わないと分かってもらえないのに

迷惑をかけてしまった

失敗を最小限にできたのに


この後悔を活かすには

何をしたらいいんだろう?