今日は金曜日ヾ(@°▽°@)ノ
久しぶりにひとりの時間が持ててのんびりしています
行きたいところあるけど、車ないから行けないし、家にひきこもりでーす
不思議なことに、聖書を読んでいると、今一番学ぶべきことが書かれていたりする。
ほんとに聖書学ぼうって思ったきっかけがこれ。
Luke ルカの17章1節から10節。
イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。
17:2
これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。
17:3
あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。
17:4
もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。
17:5
使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。
17:6
そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。
17:7
あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。
17:8
かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
17:9
僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。
17:10
同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。
許しについて書かれてる。
簡単に言えば、
ひとに災いをもたせるくらいなら石臼を首に巻きつけて海に沈んだほうがまし。
間違ったことをしている兄弟がいれば、注意して、謝ってくれば、何度でも許しなさい。
少しの信仰心があり、それをもって信仰を増してくださいと祈れば、それは大きくなる。
神様は聞いてくださる。
神様に与えられた試練をしました。
だからその代償に何か下さい、と言うだろうか?
与えられた試練をしただけにすぎない、と思いなさい。
ということらしいです。
書かれてるままでは絶対にここまで深く理解できないけど、
バイブルスタディーに行ったとき、これを学んだの。
そのとき私が抱えてた問題はまさに許すことの難しさやった。
そのときバイブルを教えてくれてた 夫婦がこんな話をしてれた。
「娘を若い人に殺された母がいた。 その殺した相手を許すなんて到底無理で、憎むのは当たり前だろうし、簡単なことではない。だけどその母はクリスチャンだったんだけど、なんとその殺した人を許す、と言って許したんだって。その男の人もそのあまりにも大きな心に心打たれたらしい。それからその二人は仲がよくなって、今は自分の子供みたいに思って仲良くしてるんだって。」
「彼女は娘を失ったけれど、今は新しい子供のような存在を手に入れたんだよ。」
”許し”という大きな力を感じられる話だね。
それに夫婦についてすこしはなしてくれた。
彼らは両方がクリスチャンなのね、それでもクリスチャンって色々難しい、とあたしは思う。
「何よりも神様を優先しなければならない。」
妻であっても、夫であっても、自分の子供であっても。
お互いを崇拝することはできない、神様以上にそれらを愛することはできない、と。
「神様を愛し、崇拝することにより、私たちは繋がっているんだよ。」
って。
私の大切な人もそうなんだけれど、彼の一番にはなれない。
それが悲しいことかって言われると、そうでもない。
ふたりだけの世界で生きれるならそれもいいかもしれないけれど、
そういう幸せは違う気がする。
いつも思うけど、
クリスチャンの人たちを見てるとみんな愛であふれてる。
ほんと素敵だと思う。
クリスチャンになるってことは簡単なことじゃないと、思う。
ずっと一緒にいたいから、今守ること、しなきゃいけないことをしっかりやっていこうって言う
彼に、私もついていきたいな、と思う今日このごろです ><
あー勉強しないと・・・
久しぶりにひとりの時間が持ててのんびりしています

行きたいところあるけど、車ないから行けないし、家にひきこもりでーす

不思議なことに、聖書を読んでいると、今一番学ぶべきことが書かれていたりする。
ほんとに聖書学ぼうって思ったきっかけがこれ。
Luke ルカの17章1節から10節。
イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。
17:2
これらの小さい者のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうすを首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである。
17:3
あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。
17:4
もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。
17:5
使徒たちは主に「わたしたちの信仰を増してください」と言った。
17:6
そこで主が言われた、「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう。
17:7
あなたがたのうちのだれかに、耕作か牧畜かをする僕があるとする。その僕が畑から帰って来たとき、彼に『すぐきて、食卓につきなさい』と言うだろうか。
17:8
かえって、『夕食の用意をしてくれ。そしてわたしが飲み食いをするあいだ、帯をしめて給仕をしなさい。そのあとで、飲み食いをするがよい』と、言うではないか。
17:9
僕が命じられたことをしたからといって、主人は彼に感謝するだろうか。
17:10
同様にあなたがたも、命じられたことを皆してしまったとき、『わたしたちはふつつかな僕です。すべき事をしたに過ぎません』と言いなさい」。
許しについて書かれてる。
簡単に言えば、
ひとに災いをもたせるくらいなら石臼を首に巻きつけて海に沈んだほうがまし。
間違ったことをしている兄弟がいれば、注意して、謝ってくれば、何度でも許しなさい。
少しの信仰心があり、それをもって信仰を増してくださいと祈れば、それは大きくなる。
神様は聞いてくださる。
神様に与えられた試練をしました。
だからその代償に何か下さい、と言うだろうか?
与えられた試練をしただけにすぎない、と思いなさい。
ということらしいです。
書かれてるままでは絶対にここまで深く理解できないけど、
バイブルスタディーに行ったとき、これを学んだの。
そのとき私が抱えてた問題はまさに許すことの難しさやった。
そのときバイブルを教えてくれてた 夫婦がこんな話をしてれた。
「娘を若い人に殺された母がいた。 その殺した相手を許すなんて到底無理で、憎むのは当たり前だろうし、簡単なことではない。だけどその母はクリスチャンだったんだけど、なんとその殺した人を許す、と言って許したんだって。その男の人もそのあまりにも大きな心に心打たれたらしい。それからその二人は仲がよくなって、今は自分の子供みたいに思って仲良くしてるんだって。」
「彼女は娘を失ったけれど、今は新しい子供のような存在を手に入れたんだよ。」
”許し”という大きな力を感じられる話だね。
それに夫婦についてすこしはなしてくれた。
彼らは両方がクリスチャンなのね、それでもクリスチャンって色々難しい、とあたしは思う。
「何よりも神様を優先しなければならない。」
妻であっても、夫であっても、自分の子供であっても。
お互いを崇拝することはできない、神様以上にそれらを愛することはできない、と。
「神様を愛し、崇拝することにより、私たちは繋がっているんだよ。」
って。
私の大切な人もそうなんだけれど、彼の一番にはなれない。
それが悲しいことかって言われると、そうでもない。
ふたりだけの世界で生きれるならそれもいいかもしれないけれど、
そういう幸せは違う気がする。
いつも思うけど、
クリスチャンの人たちを見てるとみんな愛であふれてる。
ほんと素敵だと思う。
クリスチャンになるってことは簡単なことじゃないと、思う。
ずっと一緒にいたいから、今守ること、しなきゃいけないことをしっかりやっていこうって言う
彼に、私もついていきたいな、と思う今日このごろです ><
あー勉強しないと・・・
