ぬいぐるみに話しかけるお年寄りの話

福岡県の介護施設の一角で、一人のお年寄りがぬいぐるみに向かって話しかけている。

 

「昔、まだ子供が小さい時にね——」

 

返事が来る。機械からではなく、まるで友人のように。そのぬいぐるみは「コモモン」という名のAIロボットだ。開発したのは、福岡県飯塚市で認知症専門介護施設を運営する2012年創業のベンチャー、ザ・ハーモニー株式会社。

 


何をやっている会社か

ザ・ハーモニーは2つの顔を持つ。

 

一つは「ケア事業部」。飯塚市、田川市、嘉麻市で認知症専門の介護施設を運営し、通い・泊まり・住まいをワンストップで提供する。もう一つは「テクノロジー事業部」。AIを活用した認知症コミュニケーションロボット「コモモン」の研究開発に取り組んでいる。

 

コモモンのコアは独自開発の認知症対話エンジンで、認知症の高齢者と過去の経験や出来事について語り合うことができるロボットだ。会話だけでなく、歌やクイズも提供する。そして徘徊・抑鬱・暴力行動といった周辺症状の抑制が期待されており、介護者の心身の負担軽減の効果も確認されている。

 

2021年9月から福岡県内の介護施設・医療機関・自宅など27か所で42台の導入・検証を実施し、QOL向上、周辺症状発生減少、介護者の負担軽減、経済的効果を確認している。そして2023年1月には総額2億900万円の資金調達を実施した。


隠れた強みの発見——「自社施設」という最強の研究室

多くのテック系スタートアップは、現場の課題を外から観察して製品を作る。ザ・ハーモニーは違う。

 

介護福祉士で認知症ケア専門士でもある代表取締役CEOの高橋氏には「認知症高齢者の方への高いケアの提供を目指すほど、介護者の負担は増してしまう」というジレンマがあった。そのジレンマを外注せず、自分たちで解こうとした。

 

これが生んだ最大の強みが「自社施設という研究室」だ。介護福祉領域は実証実験のハードルが高く、特にテクノロジー関連はデータ取得に個人情報の問題があるが、自施設があることでそのハードルがクリアしやすく、高速でPDCAサイクルが回せるという。

 

実際、現場で発見したことは細部に宿る。介護施設にはテレビの音、スタッフの声掛け、食事の準備音、入浴介助音など多くの雑音があり、それが開発上の大きなハードルだったという証言がある。こうした気づきは、施設を持たない開発者には永遠に届かない。

 

そしてもう一つ、見過ごせない発見がある。認知症の方は対人では冗談を言うことが稀だが、対ロボットになるとよく冗談を言うという現場の観察だ。人間相手だと緊張し、ロボット相手だとリラックスする——この逆説が、コモモンの存在意義をそのまま語っている。


ビジネス的考察—2050年という締め切り

数字を見れば、この事業が向かう方向は明確だ。

 

2050年には地球上の認知症患者が1億3千万人になり、日本でも1千万人を超える。しかし2050年には日本だけでも医療・介護分野で930万人の人手が不足すると試算されている。

 

需要は増える。供給は減る。その差を埋めるものが、今まさに問われている。

 

ザ・ハーモニーが目指すのは、テクノロジーで代替可能な介護作業を切り離し、人でしかできない本来の介護業務に人が専念できるようにすることだ。ロボットが「おしゃべり相手」を担う30〜60分の間に、介護士は本当に人間でなければできないケアに集中できる。これは「ロボットが人を追い出す」話ではなく、「人がより人らしく働ける」話だ。

 

福岡という地方都市を拠点にしていることも、実は強みになる。高齢化・過疎化が都市より先行する地方は、介護テックの「課題先進地域」でもある。そこで磨かれた解決策は、やがて全国・全世界へ展開できる。


まとめ—「現場を持つ者」が最強の開発者になる

ザ・ハーモニーの本質は、テック企業でも介護企業でもなく「課題の当事者が作った事業」だという点だ。

 

代表の高橋氏は、地元に帰って初めて親の老化を目の当たりにし、介護の現場を何十か所と見て回った末に「ここに将来、両親を預けられるだろうか」と感じて起業した。その原体験が、製品のすみずみに宿っている。

 

あなたのビジネスに置き換えて考えてほしい。あなたが解こうとしている課題の「現場」に、あなた自身はどれだけ深く入れているだろうか。