先日のボーイ・ジョージがピート・バーンズのことを語った記事を書いたあと、懐かしくていろいろ探しました。当時のUKナイトクラブシーンというのが、面白かったよね。
ちなみに、ボーイ・ジョージが語った中にも出てきたマリリン。この曲だけヒットした。
また、スティーブ・ストレンジ。彼はまぁ、クラブシーンの仕掛け人という顔のほうがデカイけど、Visageもソコソコ、ヒットした。
二人とも、やっぱりルックスがボーイジョージやピートバーンズに比べて落ちるし、声が圧倒的にダメ。まぁ、曲も、売れセンというのとは違うし。世界的には、売れてないネ。
パンクの世界は、私はイマイチ好きでない・・・特に商業パンク。。いろいろ矛盾しまくり。
なんだけど、その時代から、ポスト・パンクとよばれるBauhausが出てきて、この辺は好きだ。
曲は多少アーティスティックな前衛的なものを取り入れたり。
でまた、アーティスティックといえば、Japanとかそっちにいくのもアリなんだけど、そこまでマジメなアートぽく、というのも、いまいちノレない。
てとこで、クラブ出身のアーティストたちが続々登場してきた。音楽と同等ぐらいに、ファッションもがんばっちゃう人たち。ボーイ・ジョージ、ピート・バーンズなんかが代表ですね。
(スパンダーバレエとか、デュランデュランは、ちょっと違う・・・同じクラブシーン出身ですけども、女子ウケ狙いの王子様路線を、センスはなくても無理してやってました、という人たちだし)
既に、パンクファッションといえばヴィヴィアン・ウェストウッドみたいな大御所がいた頃ですが、そのパンクファッションをさらに斬新に、支離滅裂にしていったのがボーイ・ジョージたちでしょうね。
Blitz、Billy's、有名どころのカムデン・パレスなどはボーイ・ジョージやマリリンのナワバリみたいな感じですが、Haizi Fantayzeeやスパンドゥー・バレエなど、全員、夜遊び仲間というか、クラブ常連さんだったり。
後々も、有名なアメリカシンガーやミュージシャンのUKデビュー地になったり、Princeもここで2000年代に長期滞在型のコンサートをしたりしてる。
ちなみに、スティーブ・ストレンジが、ファッションの異常化(笑)の仕掛け人、といわれてる。
この人が、カムデン・パレスの「服装規定」をしきって、「異様でカッコイイ」格好じゃなくては、クラブに入れてあげません!というのが、話題になった。そしてみんなで競って異様なファッションをして通いつめていたわけですね。
なんと、そのクラブでずっと前に演奏してたりしたミック・ジャガーを、入れてあげなかった、なんというエピソードも。クラブのドレスコードで個性を出すというのは、この人が最初かも?
DJ、というか、パーティ仕掛け人、〇〇ナイトのホストというのを数多くこなす、仕掛け人だったわけで。本人もクラブのオーナーになり、さらにVisageというバンドで中成功をおさめる。
ボーイジョージも、ミュージックシーンが今は、とても「商業的」になってしまって、面白いものがない、なんて批判してますが、彼の頃は、売れるか売れないかというのよりも、どれだけ奇妙で人を驚かせ、熱狂させるか、という熱い勝負でしのぎを削ってきたわけですもんね。
あたしも、実は、この時代の、この「いかに奇妙であることをアピールするか」という精神がすきなんですよね。この時代の曲が、バンドが、好きというよりも、この精神が好きなんです。
ボーイ・ジョージが、ピート・バーンズが亡くなって出したツイート: ピートは最高のエキセントリクスの一人、って言ってますが、これは、エキセントリックさを競い合った時代の盟友としての言葉ですね。
決して、変人をイジってるわけではないかなと。
Boy George@BoyGeorge
Tearful about the passing of @PeteBurnsICON he was one of our great true eccentrics and such a big part of my life! Wow. Hard to believe!
2016年10月25日 03:21
「個性を出そう」「流行で恥ずかしくない格好をめざそう」「平凡でいよう」「目立たないようにしよう」「無難なものにしよう」というのもアリだし、モテたいもあり、全部アリなんですよ、でもね。
ファッション、というものを本質を突き詰めていくと、結局どれだけ奇妙であるかが、大事かなっておもう。
それ以外を大事にすると、結局は、「優越感の道具」になっちゃうんだよね。
究極のファッションてのは、自分のアピアランスよりも、ファッションのほうが大事、というようなものかなっておもう。
着ている人を引き立てる、とか、着ている人をかっこよく見せる、というのがファッションではありますが、その人のあり方が、「とにかくモテタイ」だと、台無し、であるように。
そして、そのままそれが、アートとしても、同じことが言えるのかなって。
今のイギリス、ヨーロッパには、ダメダメな人間でも、オリジナリティのある作品を出すということに、ものすごく寛容な文化もあるんだよね。
こういうアートに対する寛容さっていうのが、結局、人の正常さをキープするような気がする。
ただ、「アート」と名づければ、どんなアホで短絡的な奴も、ちょいと認められる、みたいな甘さもあるなーと思うけれど。
奇妙でいてはいけない、奇妙なものは排除する、という文化は、結局、病んでしまう。
奇妙であることを、尊ぶというのは、理想的だなって思うんだよね。
ある程度、商業主義も必要だと思う。競争するための目安として、どれだけ受けるか、という発想は大事。
だけど、商業主義の悪さっていうのは、「企業のお偉方の意向」が、沢山の個性をみとめない道に行きやすいところも弊害だと思う。あとは「受けそうだから金を出すから、売れる」式の売れ方。みんな判でおしたようなアーティストが多いと思う昨今。
アートとしては、奇妙なものを歓迎する文化でありたいなと思うんだよね。難しいけど。
そして、ナンバーワン時代を終えた日本が、幸せに生きるためには、「先にダメになったダメダメ先進国」の先輩であるヨーロッパには、真似したい面白い知恵がまだまだあるなと![]()
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