ドイツ滞在のことを、今思い出してきたことがアレコレ。ちょっと書いてみる。
●フランス人
ドイツを去る日に、空港で、二人づれのマダムをお見かけした。
冬の季節に、デュッセルドルフ空港のほとんどの人は、コートにダウンに、セーターに、
という冬の衣装のなかで、このお二人は、空港のトイレで着替えたとおもわれる。
麻素材の、薄くてひらっとした、見るからにカッティングが高い技術のパンツスーツ。
ヒールにサングラス。初夏の格好です。
見るからに、フランス人ですね。
上品なパンプスや、高価な時計にジュエリー。
ストールなども夏仕様。
全体を薄いグレーや、サンドストーンのカラーの濃淡でまとめた洗練された感じ。
おそらく、デザイン関係のお仕事をされている方か、ブランドのプレスとおもわれ。
とにかく洗練された60代女性でした。Vogueに出てきそうな、そういう雰囲気の方。
真冬のドイツでアホなのか?ではなくて、アブダビを経由するわけで、アブダビに滞在するのでしょう、夏仕様の服をお召しだったわけです。
同じ飛行機に乗る人の服装と比べて、非常に旅なれた快適な、それでいて高価な洗練された装いのお二人が、際立って目立ってました。
ドイツ人も、身なりはとてもカジュアル・コンサバ路線で気を使っている人が多いけれども、いまひとつ洗練さがない。
やはり段違いなのがフランス人ですね。
●ロマ
ヨーロッパ中で差別されているといわれる、ロマ。中世からの放浪・物乞い・旅芸人的な民族。
なんですが、どこにも属さずに、ひたすら物乞いをする もしくは スリやかっぱらいをする。
だから嫌われるわけです。定住せずに、盗むことが正義、な民族なわけなんで。
ドイツの社会保障を考えると、物乞いをする必要なんて無いはず、これも差別なのか?なんて思いましたが。
ドルトムント・ケルン・デュイスブルクなどで声をかけてきた人は、全員この民族でしょう。
最初、南米の人?中東の人?という感じで、人種が分かりませんでした。
国境を持たないで、勝手に国を出入りして、国の制度なんぞに関心がないし、物乞いしているのはまだいいほうで、大概がスリ・カッパライをやってるだろなと。
そして、ドイツ国内では一応、警察の取締りがあるので、スリ・カッパライは、観光地で暗躍しつつ、おおっぴらにはやらず、おおっぴらには、「物乞い」スタイルをしつつ、いつでもスリになるだろうなと。
あ、一部、ドイツ人の若者が、小銭をねだるなんてこともありましたが、こういうのは意外と多いようです。スポーツ感覚で、貧乏旅行中に他人に小銭をせがんだりするのは、若者の特権という感じか。
●トルコ系ドイツ人
ギュンドアンのビミョウな扱いから、察している人も多いとおもいますが。
トルコ系は、ドイツから結構、差別を受けているようですね。おおっぴらにじゃないでしょうけれども、ある程度暗黙に、トルコ人差別を、多少感じてきました。その理由も。
ギュンドアンなんかは、かなりドイツ人的対応がキチンとできる人だとおもいますが、
語学友達を見つけようというときに、顔を隠してドイツ人だという人と会話して、気がつくこととして。
ドイツ人は、割と相手に軸を置いた会話をするわけです。
相手が不快でなければ、こうしたいけれど、という、自己主張もある程度、相手軸にある形。
相手に軸を合わせられる。これもまぁ、礼儀というか。そして、それが思い通りにならなければ、とっとと相手を替えるだけ。
また、付き合いが深くなると、軸は自分にどんどん移していくわけですが、一応は、相手に軸を置いて、会話したりはするわけです。礼儀上。
トルコ系ドイツ人は、かなり、自分軸の人が多いと思いました。
自分は、こういう人とこういう話がしたい。自分はこう思う。こうしたい。それをそのまま、相手にがんがん押し付ける。
相手が嫌がったとしても、押し付ける。そして、そろそろ、相手がトルコ系だなと、推察して、写真交換を申し出ると、その通りだったり。
ドイツ人の見栄っ張りと礼儀正しさは、紙一重というか、馬鹿にされまいとする振る舞いがある程度の礼儀正しさを要求するのかな。
フェリクスも、外で馬鹿にされない振る舞いをしなさい、というような教育を私に施していたしね。
強く自己主張をするし、無愛想だし、おとなしく列をつくって並んだりはしないけれども、社会の振る舞いという枠が、ある程度キッチリあるドイツ。
全部はつかめなかったけれど、ある程度日本社会にもある、「相手を重視した、馬鹿にされない、きちんとした振る舞い・服装」が、キッチリ存在してましたね。
この辺は、日本人的には、あんまり違いがないので苦労せずに理解できるTPOだと思いましたが。
そして、それをトルコ人は、受け入れないまま、長年、きているなーと。
私が過ごしたところは、かなり保守的・高級路線のエリアでしたから、周りはほとんど、昔ながらのドイツ人、でしたが、外国人も多少は住んでいました。黒人、東洋人。
一度、背が190はある黒人男性に、家に帰る途中の暗い地下鉄駅近辺で声をかけられて、怖がって走り去ろうとしかけたら、「僕はこわくないよー♪驚かせたかな?ごめんごめん」みたいな、カワユイ表情をつくって、ただ珍しい日本人と会話したかっただけ、なんてこともありましたが、完全にドイツになじんでいるような、知的な黒人でした。
暫くしてまた、同じ人に街で行き会ったら、「チャオ!」などとまた、覚えられていたりしてネ。
でも、トルコ人は見かけなかった。スーパーでは、ほぼ、白人系ドイツ人のみ。
同じ地下鉄の駅で、降りてくる人や乗っていく人を観察していて。そうだったなと。
エリアから、締め出されていた、ということに、なんとなく、今頃、気がついてきたりして。
そして、その理由も。やはり、文化を受け入れないんだよね。
そして、私が、「この当たりはヤバイ」と第6感が感じたエリアは、受けれいている、というか、住み着いている、というか。
日本人は、かなり、相手の国の文化を受け入れすぎるくらい受け入れて、受け入れきれないことに、悩んだりするような、思いやり・他人軸な文化だけど、トルコはかなり、自分軸な文化。
思いやりがないわけじゃないけれど、思いやりを押し付けたり、自分が振り回す的な思いやりなんだよね。
そして、この辺が、先進国とそうじゃない国の枝分かれ、だったり。
先進国の住民は、国を問わず、相手軸のフリができる。察するわけさ。
もちろん、自己主張は激しかったりおとなしかったり、さまざまだけど、どんなに自己主張が激しいタイプの人でも、相手の主張を聞くフリはできる。というか、ある程度相手の感じ方を察した上でものを言う。
これをできないのが、先進国じゃない人だ。
ということを、つくづく、多くの国の人と、近頃会話してきていて、思ったことでした。
それも、先進国であるドイツに長年住んでいるはずの、トルコ人と会話して、つくづくね。
日本人みたいに、本心から相手軸で付き合える国も少数派だけども。
というか、日本人はかなり、他人に気を使うことが身についているからこそ、社会が機能して、機能したからこそ発展したんだなと。
相手の立場、相手の文化に許容を示さないのが、先進国じゃない国の人に多いと。
もちろん、先進国の人でも、日本食を全員が褒めるわけじゃなくて、嫌いだと直接いう人もいるけれども、そういうことじゃないんだよね。
最初から、国が違う相手の気持ちを考えてものをいうことがない、というのが、先進国じゃない人の特徴なんだよね。
だから、移民というのは、難しいわけだよね。先進国から先進国への移民じゃないわけで。
差別差別と騒ぐ人もいるけれども、目の前に、自分の国の文化を全く受け入れるつもりがなく、それも無自覚で、そのまま変わらず住んでいる人が、いろいろ自分の軸だけで物を言うと、どう感じるか。
不快に決まってるよね。
移民が差別されて当然!とか、移民なんて大嫌い!とかを声たかくいうつもりはないですが。
ずうずうしく、自分だけの目線で、主張を振り回す、未開な友好的じゃない人を、大勢受け入れることが、移民を受け入れることだと、心得ないとな、というところですね。