今回のブログに書く事は
1. 自分の記憶が確かでなく
私自身よりも家族に怖い思いをさせたため
あまり詳しく聞き返えす事が出来ず
曖昧なところがあります。
2. でも今の私は後遺症がほぼなく過ごしています!
o(^▽^)o
なのでで楽な気持ちで読んでいただければ嬉しいです。
2クール目の抗がん剤投与が修了し
久しぶりに窓ごしに家族とサプライズ再会
その翌日の夜中、突然激しい吐き気に襲われました。
2回ほど無菌室のトイレに吐いて
看護師さんにナースコールをして・・・
その後記憶がありません。
気付いたときには
周りに人が立っています。
「わかりますか?」 (D先生)
せんせい・・・?
「わかりますか?」 (担当Nsさん)
かんごしさん・・・?
「・・・わかり・・・ます」 (私)
「わかるか?」 (夫)
しごといってるはず・・・
「おかあさん!わかる?」 [息子)
ぼうずあたま・・・・
「わかります・・・・」 (私)
「名前 言えますか?」 (D先生)
「×・・×AA・・・」
「○×AA・・・」
「△×AA・・・?」 (私)
自分の名字が出てこない
出てこないというより
言えないというか
言おうとしても・・・何で!?
ようやく私の周りに
先生や担当ナースさん
夫と子供たちがいる事が
わかりました。
そして
みんなの顔の左上半分が
ぐにやぐにゃに見える!?
ゲゲゲのキタローの髪形のように。
そしてみんな顔色が日焼けしたように
赤く見える
????
その時の気持ちを表すとしたら
?????
でしかありません。
今までに感じたことのない「?」
ずっと後日に容体が落ち着いてから
私が脳出血で倒れたのだったと
教えてくれました。
(と記憶しています)
夜中に嘔吐を繰り返し意識を失ってから
翌々日の昼間に意識を取り戻したようです。
その間に家族が呼び出され
CTを取ったり、無菌室からNsステーション前の個室に移され
脳外科の緊急手術ができる近隣の大病院に
問い合わせるも受け入れ不可で
祈るような気持ちで待っていたHLA適合輸血が届き・・・
母がずっと私に付き添い先生もずっと泊まり込みで・・・
後で聞いたことをつなぎ合わせると(順不同ですが)
皆が心底大変な思いをしていたのです。
意識を取り戻した私が
ほどなくまた気が付くと
娘が、紙に私の顔と名前を大きく描いて持ってきました。
「○!○!△!△!言える?」 (娘)
何度かゆっくり私の名前を言って見せてくれました。
多分一緒に名前を言う練習をしたと思います。
この紙は今も大切に持っています。
倒れた時病院にいたこと
周りの方々の全力の対応
HLA適合血小板輸血
そして運の良さで
この時の命の危機から助かりました。
そしてベットに寝たまま
頭を動かせず天井を見たままの日々の始まりです!
2クール目の途中寛解もせぬまま
何の病気で入院してるのか忘れてしまいそうな
脳出血からの回復生活を一歩一歩歩んでいきました。
この時初めに私が思っていたのは
助かってよかった~!ではなく
(まだ自分で脳出血だってわかってなかったので)
無菌室でなくていいのーーーー?
個室のドア開けたままでいいのーーーー!?
優先順位がわからない。
あれだけ無菌室に厳しく閉じ込めらていたのは何だったんだ?
こんなに解放状態でいいの!?
ナースステーションの目の前でドアは開けっ放し
すぐにでもDrやNsが駆けつけられることが
最優先だったんですよね。