私の父は、暴力こそしないものの日常的に暴言を吐いていました。


「偏差値の低い学校にいる奴はクズ。クズとは関わるな。」


「独身で子供がいない女は、絶滅新種。そんなふうになるな。」


と聞き飽きるほど言っていました。



こんな偏った考え方の父に育てられたので、

私の子供時代は、暗黒時代でした。

楽しかった思い出もほとんどありません。


例えば、家でテレビを見ていると、スポーツ選手が試合でミスするなり、散々に罵倒する。


テレビで芸能人が出ると「脚が短い」「色気がない」と女性の容姿をバカにしていました。



私自身もとても厳しく育てられました。

友達や皆の前で怒鳴られることもよくありました。


だから常に緊張していたし、父を怒らせないようにしていました。暴力はしないですが、物を投げたり、荒らすことがあったので、本当にこわかったです。


父が満足するような学校に合格することで、何とか父の機嫌を保っていました。

(でも姉は受験に失敗して、大人になっても電車や新幹線に乗るとパニック発作を起こしていました。姉は受験生のとき勉強のしすぎで視力が下がって、眼鏡をかけることになったとき「眼鏡かけるなんて家の恥だから出ていけ」と父は言いました。)


こんな父でしたから、ひどいこともたくさんされました。今でも覚えているのが、母が更年期になったときのこと。めまいで階段を降りれなくなったり、のぼせで家事すらできなくなりました。

「包丁を持つのがこわい」と言って、買い物にも行けなくなってしまった母。


こんなときでも、強引で押しの強い父は「引きこもってたってダメなんだ」と言って、気分転換にもなるから外に出ろと言いました。


本当は外出したくないけど、父に言われて仕方なく買い物に出かけた母。しかし運転中に前の車にぶつかって、接触事故を起こしてしまったんです。


幸い母は無事でしたが、父は母よりも車の心配をしていました。


何やってんだ、大事な車に傷付けるなよって。



信じられますか?私は怒りで震えました。


当時私は高3で受験生でしたが、母のために料理を作ったり、できることはしていました。


でも父だけは絶対に許さない、そう思っていました。


大学進学後は実家から離れて一人暮らしをしたので、父と離れることができました。


でも、離れてからよりいっそう「父は最低の人間性だった」ことに気付きます。以前からも気付いてはいたけど、離れたときにようやく客観視できたんです。


心の深いところには、父への怒りで溢れていました。



私は晩婚でしたが、20代の頃は「20代で結婚するのはもったいない」と恋愛を楽しんでいました。


でも今思うと、私が結婚をしないことで父親に復讐をしていたのかもしれません。


父は結婚もせず子供がいない女性を差別していたので、私がその状態でいることで、父の教育が間違っていた、


お前の育て方は間違っていたと証明したかった


のかもしれません。


またもう一つの側面としては、

父が思うダメな奴になることで、


私がこんな風にダメになったのはお前のせいだ


人生をかけた報復をしていた


とさえ思います。



父は私が34歳のときに亡くなりました。


そのときになって、私は父への強い怒りがまだ未消化であったことや、自分がダメな奴でいることで、父に復讐をしていたことに気付きました。


それで、もうこんなことはやめよう。

自分の人生を生きようと思いました。


恋愛結婚に限らず、仕事や人間関係でトラブルになる人、なぜか酷い目にばかり遭ってしまう人、もっと活躍できるはずなのに暗転している人は、


自分が不幸でいることで、誰かに復讐をしていないだろうか?


と考えてみてください。


あなたが自分ですら忘れていた怒りの塊が、

心の底に沈殿しているかもしれません。


その古い怒りを、懐かしい絶望感をなかったことにしないで、存分に感じきってみてください。


書き殴ったり、叫んだり、何かに表現してみてください。


ケンカを覚悟で、本人に言ってみても良いでしょう。


何にせよ怒りを溜め込まないで、感じてみてください。あなたが感じているその怒りの感情さえ大切にしてあげてください。