「こうしたから、こうなった」
「あのときあんなことを言わなければ…」
「こちらにも非があるけど、大方あちらが悪い」
私達は日常の現象に対して、常に原因となる事柄を見つけ出しては、他人を責めたり、自分を責めたりしながら生きています。
しかし、それらの原因って、本当はそんなに簡単に特定できるものでしょうか?
実はそこには、単純に決めつけることができない何らかの采配が存在するように感じるのです。
そもそも起きる現象とは、複合的な要因が絡み合って起きているので、何か一つの要因でもって結果が決定づけられるものではないはずです。
因果の糸が複雑に絡み合って、現実が起きている。そこに良い悪いはなく、ただ起きている。
その因果の糸を一本だけ取り出してきて、すべての原因と決めつけるのは早計だともいえます。
つまり本当の因果関係は、人間の知性では計り知れない。偶然的必然によって起こっているのではないでしょうか。
例えば、自分という存在の因果を突き詰めてみると、両親がいなければ、自分は存在しなかったことになります。
しかし、同じ両親から生まれても、外見や人格が全く異なるように、自分である必然性はないはずです。無数の可能性の中から、人知を超えた因果によって自分が存在した。
このようにこの世界には見えない作用が働いていて、その因果は人間の知性では到底計り知れないのかもしれません。