朝日新聞全国版、生活面の「患者を生きる」。
保田圭ちゃんの連載記事2回目がありました。


昨日より記事が小さくなるのは予想通り。
それでも紙面中央の割と広いスペースに載っています。
昨日に引き続き、予想以上の良い扱いには驚くばかりです。




今日は、昨日の続きから。
2001年の新春ハロプロコンサート直前に“扁桃炎”でとうとう入院。
初めてコンサートを欠席することに…。

マネージャーさんから手渡された一本のビデオには、メンバーやスタッフ、会場を訪れたファンの皆さんの思いが溢れていました。
病室で涙を流しながら見たけいちゃん。


その続きからです。




退院はしたものの、“扁桃炎”の症状はよくなるどころか悪化する一方。
抗生物質と吸入器が手放せない状態になります。


「抗生物質がかばんに入っていないと、不安でしょうがなかった。」

けいちゃんにとって、抗生物質は命綱のようなものになっていたのですね。
当時の状態がよくわかる言葉です。



いつまた症状が出るのか?という不安と隣り合わせの毎日。
精神的にもどんどんキツくなっていたのではないでしょうか?


炎症を繰り返し、抗生物質を飲み続ける。
飲み過ぎはよくないとお医者さんに言われてはいたそうですが、仕事を続けるには方法がなかったそうです。

薬に耐性ができてきて、効きにくくなっている実感があっても。
当時のけいちゃんにはそれしかなかったわけです。



追い込まれていく状況に、けいちゃんはどうやって耐えていたのでしょう?
当時からずっと見続けていたはずなのに…。
そんな苦しみをこちらにはまったく感じさせなかった。
保田圭という人の仕事に対する強い思いを改めて実感しています。



繰り返す症状。
効き目が弱くなる薬。
そんな状態を変えられる一つの希望の光。


それが手術でした。


実際に手術をし、扁桃を除去したのは昨年でしたが。
手術についてはずっと前から選択肢のひとつにはあったそうです。


でも。

声が変わらないかという不安。
喉にメスを入れる恐怖。
扁桃をとらない方がいいという意見。


そして。

何よりも、仕事。
当時人気絶頂で休みなんてほとんど無かったモーニング娘。
一週間も仕事を休むことなんて考えられなかったそうです。



けいちゃんの娘。卒業の日。
デビューから5年の集大成。
記念すべき日であり。
それと同時に、発症から5年経過したことを示します。


“扁桃炎”に苦しみ、不安と闘い続けた5年。
そこからはまだ卒業できていません。
“扁桃炎”との付き合いはまだまだ続きます。