本日より、朝日新聞全国版の生活面「患者を生きる」でけいちゃんの記事が始まりました。
今日から7日の日曜日まで、6回連載されます。



朝日新聞の一面の見出し枠にもけいちゃんが写真付きで登場。
「保田圭さん扁桃炎との闘い」
という大きめな見出し。
ビックリしました。


生活面を広げてみると、さらに驚きで。
紙面の半分以上を占める記事。
紙面中央に大きく載っているけいちゃんの写真。
プロフィールも、モーニング娘。であった過去の経歴から現在の女優業の経歴。
さらに来月公演の舞台『マーダーファクトリー』の告知まで。
「君に届け」の紹介がないのはちょっと寂しいですが、あのスペースをフルに使用して経歴をまとめてくれていました。

さすが朝日新聞!
限られたスペースに情報がギッシリです。


正直、もっと小さなコーナーになると思っていた自分。
新聞を広げたときの衝撃はハンパなかったです。

写真もこれの1/20くらいの小さいものを予想。
オフィシャルサイトの写真を転載かも?なんて思っていたので。
あまりにも本格的な扱いに喜ぶよりも驚いたというのが正直なところです(笑)




記事は昨年末の舞台『ロマンチックにヨロシク』の描写から始まりました。
プロの記者さんのさすがの文章。
あの舞台が今、目の前で上演されているかのような感覚になります。


“~つぶやくように歌い始める。伴奏はない。”
そして歌詞の前半部分の抜粋。

もうここは鳥肌が立ちました。
描写が的確で一気に舞台の世界に入ってしまったのだと思います。
客席で観ていた時と同じような緊張感。
ドキドキ。
聖美ママがスミレに戻っていくと感じられた歌の重み。
すべて蘇ってきたようでした。



そこから記事は12年前に遡ります。


1998年3月。
モーニング娘。初めての追加メンバー募集。
5月にはけいちゃんたち3人の加入が決定。
娘。の2曲目であり、けいちゃんのデビュー曲である「サマーナイトタウン」発売イベントに向かっているその時。
もうその時点で“扁桃炎”は発症していたそうです。
本人に自覚はなかったようですが…。


ブログで書いていた扁桃炎体験記。
そこでデビュー当時から苦しんでいたとありましたね。
まさにデビューと同時進行だったことが今回の記事でありありとわかって。
当時のけいちゃんの気持ちを考えると切なくなりました。


40度以上の高熱と喉の痛み。
休むことを勧める医者の言葉も振り切り仕事へ向かう。
スタッフやメンバーにはひた隠しにして…。


“「体調の管理もできない人間」。そう思われたくなかった”

という言葉に、当時のけいちゃんの心境がよくわかりますね。

まだ世間にも先輩メンバーにも娘。として認められていない頃です。
プロとしての自覚が足りないなんて絶対に思われたくなかったのでしょう。


そんな無理が重なり、とうとう、元気な姿を装うことすらできなくなります。
症状を打ち明けた男性マネージャーとは、きっと和田さんでしょうね。
あの厳しいと評判の和田さんが絶句するくらいの喉の腫れ。
すぐに病院に連れて行かれ、判明したのが“扁桃炎”。
ここから“扁桃炎”との闘いが始まったわけです。


娘。人気が加速し、忙しくなる日々。
仕事が増えれば増えるほど体調は悪くなる。
体もキツかったでしょうが、精神的にもツラかっただろうなと。
読んでいて苦しかったです。



2001年の新春ハロプロコンサート。
これはとうとうドクターストップがかかっての欠席。

休んだことは当時のニュースや、後日コンサートの映像を紹介したハロモニでも伝えられていました。
でも、当時は“扁桃炎”のことは公表しておらず、熱を出したことくらいしか我々には伝わってこなかったと思います。


初めて本番に穴をあける。

その悔しさは相当なものだったでしょう。
「点滴をしながらでも出たい」と言ってしまう人ですから。


悔しさ、申し訳なさを募らせる病室のけいちゃんに、マネージャーさんが届けてくれた一本のビデオテープ。
これを見て涙が止まらなかったそうです。


娘。はもちろん、けいちゃんが欠席となったプッチモニは、後藤真希ちゃん、吉澤ひとみちゃんの2人でのパフォーマンス。
頑張る2人を後押しするように。
休んでいるけいちゃんに届けとばかりに。
けいちゃんのパートを歌う会場のファン。

マンガ「娘。物語」のよっすぃーの回でもこのことが描かれていましたね。
知ってはいた話ではありましたが。
読みながら涙ぐんでいました。