総ては
自分が
自分のことを
「どうとらえているのか?」
である
何を基準に生きていくのか?
物事をどう感じ
何に反応し
どう行動するか?
で
周りの現実が構築されている
言葉でわかっていても
自分の
胸の
心の
奥底で
何を恐れ
何を嫌がっているのか
案外気づかない
なんとなく
もやもやしたり
息苦しかったり
人生を楽しめなかったり
苦しいのが当たり前だったり
その正体を見破るのには
本当に時間がかかるし
なにより
行動と勇気が必要だった
逃げてるつもりはないのだけど
結果として
向き合いたくないから
わざわざ大変なことをしたり
辛いことをして
言い訳にしていた
それは逃げていることになり
現実は変わるわけもなかった
いったい何から逃げていたのか
自分が
自分と向き合うことから
逃げているにすぎなかった
自分のいまを認めるのが怖かった
受け入れていない自分
許せていない自分を認めることから逃げていた
そんなことがあることすら
気付かない
だから苦しいんだ
なんて
思わない
そんなことを無視して
力づくで現実を変えようとする。
それが勇気や努力だと勘違いしていた
自分とちゃんと向き合うことこそが勇気
弱い自分
ダメな自分
逃げている自分ですら
認める
許す
最近でいうと
不機嫌を顔に出す人
正論を振りかざす人が
ほんとに苦手で嫌いだった。
対応に手を焼いていた
でも
問題は
その人たちではなかった
何故
そんな人が苦手なのか
自分と向き合えばよかっただけだったのだ
まぁね
大体が
母親が出てきますよ。
不機嫌な母親は
自分のせいだと思っていた
母の
正論には太刀打ちできなかった。
そんな
自分が
許せなかっただけだった
不機嫌人は
知能が低いだけだし
正論は正しいし、厳しいが
言うのは簡単
正論を言う人は
自分の人生を生きていない人
自分を生きている人は
正論を他人には言わない
そんな親はコントロールする必要ないしできない
ただ
そうなってしまったとを理解するだけである
同情する必要もないし、肯定する必要もない
その影響をもろに受けてしまった
自分と向き合うだけである
不機嫌な人への過剰反応
正論を振りかざす人への対抗心
そんな人たちと対峙して疲弊していた
好きな人の反対は嫌いな人ではなく
興味がない
というのが実際らしい