♫みのむしくんの観察日記♫

♫みのむしくんの観察日記♫

2013年11月上行結腸癌が見つかりました。ステージⅢbでした。
開腹手術、抗がん剤を経て、何事もなく無事5年も経過。病気以降、当たり前の日常を大切に、毎日を元気に過ごすことが一番の目標になりました。そんな日々の観察日記を綴っています。

振り返れば

以前の投稿から3年近く経っているのですね。


このまま辞めたつもりでもよかったんだけど



今の状況

やっぱり吐き出せる場所に吐き出した方がいいのかと

ずいぶん久しぶりに書く気になりました


書いたところでスパッと忘れられるもんではないかも…

うだうだ言ってないで書いてみよう。




父が亡くなって1年9か月になりました。

認知症が酷くて、介護も相当大変だったので

解放されたらホッとして気持ちも軽くなるのかと思いきや

相当ダメージを受けていたのか

後遺症みたいなものからまだ抜け出せないでいます。

普通に生活していても、どこか気持ちが不安で仕方ない


時間が解決してくれるかと待ってみても、なかなかそうもいかないようで、ずるずる年月ばかりが過ぎていく


ここは自分で気持ちを切り替えていかないといけないんじゃないかと

ようやく思えるようになったので


今の思いをここに解き放したいと思います。



2021年1月に実家が火事になり

一人暮らしだった父の住処を探すところから私の奮闘記は始まりました。

半ば無理やりサービス付き高齢者向け住宅に住んでもらい

環境がガラリと変わった父はお決まりのように認知症に。


父の認知症は攻撃型とでも言えばいいのか

常に機嫌が悪いか怒っているかで

誰のことも信用せず、問題ばかりを起こす困り者でした。

姉もターゲットにされて、耐えられなくなり早々に根を上げて戦線離脱してしまい

結局、私のワンオペ介護になってしまったのでした。


その間の2年間、当然私も責められ、攻撃も受けてきました。姉とグルだろうと

そして、物にも当たりまくり(壊したり、捨てたり)、その度に買い直さなくてはいけなくて、また捨てられて…地獄のループみたいだった


そのうち時間の感覚もおかしくなって、朝昼晩の区別がつかなくなり

昼夜問わずのひっきりなしの電話攻撃で私も睡眠も取れず、呼び出し音の恐怖との戦いの日々でした。

今思い返してもよく生活できてたと我ながら思う


なりたくてなったわけではない認知症

仕方ないことだとわかっていても、やっぱりやるせなく辛かった

でも辛いを表に出してしまうと、私自身が崩れてしまいそうで怖かったし、渦中にいる時は必死で考えないようにしていました。


それよりももっと辛かったのは、私の代わりが誰もいなくて、逃げたくても逃げれなかった事。

姉がいるのに、頼ることができなかった事。

1人で向き合うしかなかった事。



住んでいた高齢者向け住宅にもケアマネさんもスタッフさんもいたけれど

問題児の父だったから、できれば関わりたくない感がひしひしと伝わってきていたので

なんでもサポートしますと口では言ってくれても

結局は何の頼りにもできず


最後は手に負えなくなってきたので、認知症専門の病院に入ってもらいますと

半ば追い出されるように入院させられることに

それも結局、私が騙す形で説得して連れて行ったので

裏切られたと思ったのであろう

置いて帰る時に見せたあの恨んで睨みつけるような目が焼きついて今も忘れられないでいます。

それが2023年の年末ギリギリの事でした。


こっちの都合も考えてもらえず、そこまで急ぐ必要はあったのかと解せない気持ちはあったけど

よっぽど迷惑かけていたのかと思うと、こちらからは強く言えませんでした。

これが父との最後のお別れになるなんて思いもしなかったけど…。



入院という形で父の介護から解放されて

待ち望んでいた自由を取り戻せたのは良かったはずなのに

かかってくるはずのない電話の呼び出し音の空耳に怯え

張り詰めていて気づいていなかった

父に対する恐怖心が現れてきて

父に会いに行くことができなくなってしまいました。


数か月後、父が食べることができなくなり、点滴しかできなくなった頃に一度だけ病院に行ったのですが

その時に会っていきませんか?と聞かれたけど

震えと涙が止まらなくて会うことができず


結局入院させてから一度も会うこともなく

9か月後の2024年9月に93歳で父は亡くなりました。


点滴だけで5か月間も生き延びてた

もっと生きていたかったのかな

きっと父にとって

こんな最期は不本意でしかなかったのであろう


でも、寿命が決められないように、最期の迎え方も自分では選べない。


今でも時々蘇るフラッシュバックと

未だに見ることのできない父の写真

父からの呪縛から解放されずにいるのは

私の望む別れ方ができずに後悔を引きずっている自分のせいなんじゃないのかと

でももし、あの時入院せずに介護が続いていたとしたら、私が壊れてしまっていたかもしれない。

無理やりだったとしても、タイミングだったと納得できたら楽になるかな


こうやって改めて振り返ってみて言えること

私は頑張った。

本当に頑張ってた。

後悔はいっぱいあるけれど

自負だとなんだと言われようが

誰も言ってくれなかったので自分で褒めてやろう。



いつか

時々見る夢の中出てくる父のような

元気な頃の姿の父の思い出を話せるようになれればいいな


そして私にまとわりついてる霧のようなモヤモヤは

待っていても消えてくれない

ある出来事で

自分で払いのけないと前には進めないと気づかせてもらえた


癌になった時に

当たり前の日常の大切さに気づかせてもらえた

日々の小さな喜びが幸せなんだと

そうやって前を向くことができたはずなのに


目の前の困難に立ち向かっていくうちに

また、忘れかけてたみたい


さぁ!

仕切り直してまた一歩ずつ進んでいかなきゃね

ぼやぼやしてると年ばかり食っちゃう

もう食っちゃってるけど


それでも焦らずゆっくりと

まずは徐行運転から…