久々の投稿になります。

病気でずっと更新しませんでした。

すみません。

まあマイナーブログなのでファンはいらっしゃらないかと思いますが。

 

今回はサヨク音頭という歌をご紹介します。

なぜ左翼について書こうと思ったかというと

某駅で桐島聡や日本赤軍の手配写真を見て、

誰か逮捕されてくれないかな~と思ったからだ。

 

現在日本には重要指名手配犯が12人います。

そのうちの一人「桐島聡」という男をご存知だろうか。

1975年(昭和50年)明治学院大学在学中の21才のとき

指名手配された。

手配写真なのに笑っている、

長髪、黒縁メガネの宮川大輔にそっくりな男。

ずっと女性だと思っていたが、

名前を見て男性だと知った。

 

手配写真のポスターを見ると、

極左暴力集団、昭和50年連続企業爆破事件と書いてある。

テレビでなんか観たことはあるけど、

この男まだ逃亡中なのかよ、

さすがにもう死んでるんじゃないのと思ったが、

こんな笑顔の青年がなぜこのような事件に加担したのか、

単に爆弾好きの人間ではなく、何かしら理由があってやったのだろうと思った。

その理由が知りたくて、爆破事件についての詳細、

東アジア反日武装戦線さそりグループの結成に至った経緯などについて色々調べた。

 

東アジア反日武装戦線は、

」4名と支援者1名、「大地の牙」2名、「さそり」3名の3グループで構成されたテロリストである。

アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こした。

1974年8月、狼グループが起こした三菱重工爆破事件で有名である。

 この事件で死者8名、376名が重軽傷を負った。

爆弾はダイナマイト700本分の威力があったという。

昼の時間帯のビル街で人通りが多かったことも災いした。

 

東アジア反日武装戦線の爆破事件は以下のとおりである。

1974年8月  三菱重工爆破事件

1974年10月 三井物産爆破事件

1974年11月 帝人中央研究所爆破事件

1974年12月 鹿島建設爆破事件

1975年2月  間組爆破事件(本社ビルと大宮工場を3グループ合同で爆破)

1975年4月  オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件

1975年4月  間組爆破事件(間組京成江戸川作業所爆破)

1975年5月  間組爆破事件(間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破)

 

三菱重工爆破事件の1年前の1973年(昭和48年)、

後に東アジア反日武装戦線さそりグループのリーダー格となる黒川は、日本を支えているのは下層労働者だと考えており、

山谷(日雇い労働者が仕事を求めて地方などからやって来る、東京都台東区にあった町)にて、

越冬闘争や日雇い労働者の様々な支援活動をしていた宇〇神(現在は一般人なので実名は伏せます)と出会う。

宇〇神は明治学院大学在学中に部落解放研究会に所属、そのサークルに桐島も所属していた。

宇〇神は空手研究会(詳しい名称は忘れました)を主宰。黒ヘルとして活動していたので、

いざというときのための護身術のためにだ。

その講師として黒川が就任し、当時学生運動に参加していた桐島もこの空手研究会に参加していた。

黒川と宇〇神は日本を支えるのは下層労働者という考えで一致し、

’74年(昭和49年)10月、東アジア反日武装戦線に「さそり」として参加。

戦時中、朝鮮人・中国人を強制連行し、強制労働させ、虐待、虐殺して大きな利益をあげた建設資本が

山谷などの下層労働者を同じように酷使している。

その建設資本に報復するために武装決起する。

’74年(昭和49年)11月、仲間がもう一人必要になり、

黒川が桐島を説得し、さそりグループに引き入れた。

 

(余談だが、「中国人強制連行」という著書を読んだことがある。

戦前、鹿島建設などが中国の一般人を拉致して、

過酷な環境下で強制労働させ、指示に従わない者は殴られたり蹴られたり、拷問されたり、殺害されたり、

食料もろくに与えられず、労働現場周辺の雑草はほぼなくなっていたという。

それほど食べ物に困窮していたということだ。

戦後GHQが多数の遺骨や遺体を発見。

死者は何百人だか何千人だかでたようだ。

普通に暮らして、家族もいて、平凡な日常が突然奪われてしまった人たち。

生きて故郷に帰れた人もいるが、この人らや遺族の人らの怒りは決して消えることはないだろう。

鹿島建設などは断罪されて当然だと思った。

東アジア反日武装戦線がなぜ連続企業爆破事件を起こしたのか、

やはりそれなりの理由があったんだなと思った。

だからといって武力闘争で関係ない人を巻き込むのは仕方ないという考えには賛同できないが。)

 

1974年(昭和49年)8月、狼グループが三菱重工爆破事件で多数の死傷者を出したことから、

それ以降、無人の夜間や夜中の時間帯を狙って爆破した。

 

桐島が所属していたさそりグループが関与した事件は以下の通りである。

①1974年(昭和49年)12月23日 鹿島建設資材置場爆破

②1975年(昭和50年) 2月28日 間組本社ビル爆破

③1975年(昭和50年) 4月28日 間組京成江戸川作業所爆破

④1975年(昭和50年) 5月4日  間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破

 

このうち③間組京成江戸川作業所爆破で桐島が仕掛けた爆弾により重傷者1名、

②間組本社ビル爆破で負傷者数名、

①鹿島建設資材置場爆破④間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破については無人だったため負傷者は出なかった。

 

1975年(昭和50年)5月19日、東アジア反日武装戦線の主要メンバー8人らが一斉逮捕される。

警察はこの時点でまだ宇〇神と桐島の存在を把握していなかったが、

黒川が宇〇神と桐島の家の鍵を所持していたことから、

彼らの存在が明らかになり、

5月23日、宇〇神と桐島は全国指名手配された。

1982年(昭和57年)7月、東京都板橋区にて宇〇神は逮捕された(2003年(平成15年)に出所している)。

だが指名手配からもうすぐ47年たとうとしているのに

桐島は未だに逃亡中である。

なぜ時効が成立しないかというと、

②間組本社ビル爆破について狼、大地の牙、さそりの3グループ合同で爆破しており、共犯の狼グループのメンバーが現在も海外に逃亡しているからだ。

①鹿島建設資材置場爆破③間組京成江戸川作業所爆破④間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破については、さそり単独で行っておりすでに時効が成立している。)

 

主要メンバーらが一斉逮捕された際、桐島は実家に電話していたという。

両親に自首するよう説得され、「うん、うん」と頷いて聞いていたが、

最後に「宇〇神君と一緒に逃げる」と言って電話が切れたらしい。

それ以降両親とは一度も会っていないだろう。

両親はどれほど辛かったか。息子ともう二度と会えなくなるなどとは夢にも思わなかっただろう。

また多方から誹謗中傷をたくさん受けてきたかもしれない。

家族も何もかも捨てて逃げた桐島。

今、彼は何を思っているのか。どのような人生を歩んできたのか。

 

47年間、独力で逃亡するのは無理だろう。

身分証も保険証もなくては就職も、医療機関を受診することも難しい。

長期間逃亡するには支援者が必要ではないか。

その支援者はだれなのか。私なりに推測してみた。

 

①中核派

彼らは目的が一致していれば他組織とも連携して共闘するので

あり得ると思ったのだが、

’70年代の頃はかなり過激な集団で、

「中核派VS革マル派」という著書を読んだが、

内ゲバで何名か犠牲者が出ている。

鉄パイプ、角材、バール、火炎瓶などで相手の頭部や体を狙って攻撃する。

逮捕、長期投獄は当たり前。自分の命を犠牲にすることもいとわない。

桐島は企業爆破し重軽傷者が出たとき激しく動揺したという。

果たしてそのような人間がこのような過激な組織に匿ってもらいたいと思うだろうか。

しかし逃亡するためならやむを得ず逃げ込んだとも考えられる。

現在の中核派はストやデモ等を中心に活動しており、

上記のような過激なことはやっておりません。

 

②連帯ユニオン

生コン会社の労働組合である。

辻本清美が献金を受けていたことで知られている。

連帯ユニオンの実態については「連帯ユニオン関生闘争記」という著書を

読んでいただければ、どんな組織かお分かりになると思う。

組合員からお金を搾取し、中核派に献金している。

労働組合という肩書だが、やっていることは・・・

中身は新左翼集団なので匿われている可能性があるかもしれない。

 

③東アジア反日武装戦線の支援者

宇〇神が’82年(昭和57年)に逮捕された際、この支援者らに匿われていた。

だとしたら桐島も匿われているのではないか。

 

④個人の非公然活動家

友人や知人の伝手でこういった人間の場所を渡り歩き、

匿われているかもしれない。

新左翼のOBには経営者や医者として成功している人もいるらしいので、

そういった人たちから経済的な支援を受けているかもしれない。

 

⑤親しいパートナー

「おい小池」の小池も交際女性に匿われ、十数年逃げ続けられた。

オウム真理教の平田信も交際女性に匿われており、

自ら出頭するまで捕まることはなかった。

ずっと部屋に閉じこもっていれば捕まることはないということだ。

 

と、私の頭で考えられる限りのことを書いてみた。

自分的には④個人の非公然活動家に匿われているが可能性が高いのではと思っている。

身分証と保険証を貸してくれる人物さえいれば何とかやっていけるのではないか。

整形手術などしなくても髪形やメガネを変えたり、

太ったり痩せたりすれば外見の印象はかなり変えられる。

③東アジア反日武装戦線の支援者の可能性も考えたが、

宇〇神さんはどうやってこの支援者らと知り合えたのか。

⑤親しいパートナーの可能性も考えたが、パートナーが亡くなってしまえば逃亡人生も終わりだ。

 

色々推測してみたが、もうとっくに亡くなっているかもしれない。

だが桐島がまだ日本のどこかにいるのではと私は思っている。

中核派の大坂正明だって指名手配から46年たって逮捕されたのだから、

匿ってくれる人物がいれば長期逃亡も可能ではないか。

 

もし捕まるとしたら何らかのミス(大きなケガや交通事故を起こすなど)を

しない限り、捕まる可能性は低いだろう。

 

いまさら出頭するとも考えづらいが、今でも死傷者の方たちへの

償いと懺悔の気持ちを持ち続けて生きていると信じたい。

 

さて今回ご紹介するサヨク音頭だが、

黒川治基さんという方が歌っている曲だ。

フェイスブックには音楽家と掲載されている。

高須クリニックの高須克弥院長の歌や

女性アイドルの楽曲制作、CM作曲などなさっておられる。

左翼だからソ連の曲を選曲しようと思ったが、

重々しくて怖いなと思い、

youtubeで検索していたら、

サヨク音頭という曲を見つけたので、

この曲を紹介させていただくことにした。

 

 

最後に桐島聡の特徴を記載しておくので、

ぜひご参考ください。

昭和29年(1954年)1月9日生まれ(現在68歳)

身長160cm

強度の近視

口唇厚くやや大きい

広島県福山市出身