時刻は午後13時となり、環境大臣達による特別野外演説が始まった。中央広場には凡そ200人以上の人達が集まっており、その中に奈々恵と和彦の姿もいた。

少し経った後、広場左側の建物メモリアルギャラリー体育館から数人の黒スーツ姿の大臣官房達が列になって現れ、その先頭に歩いているのは真っ直ぐな姿勢を見せ、決心したような生き生きとした眼差しで大勢の観衆に向けて手を振る瀬崎勇武環境大臣だった。大臣達の周りには4~8人のSP達も同行しており、常に警戒体制に入っていた。


そして中央に置かれてある演説台に瀬崎が立つと、手前にある手持ちマイクを手に取り、音声機能が正常に動いているかを確認し、マイクのスイッチを入れた。


「えーッ皆さん!この度、日差しが強い真夏日の中、私達の野外演説を観に遠路遥々の方達や近所からの方達等がこれ程多く来て頂いた事、誠に感謝致します!そして一部の方々が知っての通り、私は強い緊張癖を持ってまして、先程も気持ちを落ち着かせるために何杯も水を飲んだのかも忘れてしまいましたよ」


瀬崎の冗談交じりな言葉で多くの観衆がワハハハッ!と大きな笑い声をあげた。瀬崎なりの演説の形は「真剣に政治問題への解決策を説くと同時に自分が発言する冗談な言葉で観衆を楽しませる」と言う少し異風なやり方だった。しかし、これが意外と好評になり、瀬崎の大臣としての評価が増えたきっかけにもなっていった。


「……それでは、これより私、瀬崎勇武が考案した今後の公害対策への取り組みについて説明させていただきます」


瀬崎は演説台の引き出しからタブレットを取り出し、予めインプットしていた演説内容を読み始めた。


「まず、約六年前から多発化しつつある水資源の減少…大気汚染の増加…そして近年になって各国で増え始めている台風の発生率等、これまで以上に災厄な出来事が起こり続けています。しかし、私達は国民の皆さんの豊かな暮らしと環境を守るためにある方法に辿り着きました!それはある炭鉱の発掘現場で石炭の鉱山を採掘していた作業員達が見つけ」


ピイィィィィーーー!ガガガガ………!

熱く語り始めた瀬崎の演説の最中、突然マイクの音声機能が不調を起こし激しいノイズ音が辺りに響き渡った!


「あッあれ?どうしたんだ!?スピーカーとかが故障したのか?」


瀬崎はマイクのスイッチ電源を止め、万が一のために後ろに待機させていた技術士の方へ振り向き尋ねた。


「いッいえ!スピーカーや送受信機類に異常は見られません!」


「何だと!?」


瀬崎は想定外の出来事に驚くが、その様子を観ている大勢の観衆も何事かとざわつき始めた。


「あれ、どうかしたのかな?」


「さっきのマイクのノイズ、凄かったね!びっくりしちゃった!」


「瀬崎さん大丈夫かしら?」


周りの人達のざわつきに、奈々恵も少し不安を感じ始めていた。


「お父さん、勇武オジさんどうしたの?」


奈々恵は自分の左の席に座っている父に話し掛けた。


「わからないな……こんな事は始めてだし、どうやら機械の故障でも無さそうだ…」


和彦は娘の両手を優しく握りしめ、彼女を安心させようとした。だが、自分にも少なからず不安な気持ち……いや、何だか嫌な予感を感じつつあった。奈々恵はバックからスマートフォンを取り出し母にLINEメールを送ろうとした。だが……。


「あれ?おかしいな、家を出る前にちゃんと充電してたのに」


電源ボタンを押したのに何故かスマートフォンの画面は真っ暗なままだった。何度もボタンを押してみたが、全く反応が無かった。すると、自分の右側の席に座っている女性も自分と全く同じ反応を見せた。


「あら、おかしいわね?今朝から充電してた筈なんだけど」


そして、奈々恵は気が付いた。周りをよく見てみると、隣の父和彦のスマートフォンだけじゃなく、この広場にいる殆どの人達のスマートフォンの画面が真っ暗だと言う事を。


(ウソッ!?私やお父さんだけじゃなくて他の人達のも!?)


「みッ皆さん落ち着いてください!只今この辺り一帯の携帯やスマートフォン、PC等の電子機器に異常が見られ使用出来ないとの事ですが、私達が原因を突き止めますので暫くお待ちを……」


瀬崎が大声でざわめく観衆の様子を落ち着かせようとしたその時。丁度、瀬崎が立っている場所の上空に異変が起きた。


「おッおい!あれは何だ!?」


一人の男性が上空のある箇所を指差した。その声に反応した他の人達も次々と上空の一点を見つめた。男性が指差したところにはサッカーボール程の大きさの黒い穴のようなモノが空に浮かんでいた。するとその穴は少しずつだが急速に大きく広がり始め、やがて禍々しい大きな黒い渦に変化した。予想だにしない出来事が起き、大勢の人達が唖然として言葉を失っていた。中には趣味で持ってきていたデジタルカメラで黒い渦を撮影している人もいた。


その時、渦の中から電流がおびただしく流れ始めたのと同時に中から茶色い二本の腕が出現し、さらにその腕の持ち主らしき人影が浮かび上がった。人々が渦から出てくる人影を見続けていた。そして渦から完全に姿を現したその存在は、ゆっくりと下方の石畳に着地した。「それ」は全身が茶色く、両目に当たる部分は濃緑な色をしていた。「それ」は前方にいる大勢の人達をその大きな目で見詰めていた。まるで珍しい物を興味深く見詰める研究者のように……。


「なッ何だよ、あれは……?」


「人間……じゃないよね?」


「でも、何だかカッコいいな……」


少し落ち着きを取り戻した一部の人達がそう囁いた。後ろの席の位置にいる奈々恵と和彦も「それ」の姿を確認できていた。


「お、お父さん……あれ、何…?」


和彦に尋ねる奈々恵の声は少し震えていた。彼女は前方にいる「それ」のただならぬ気配を感じているようだった。


「奈々恵、大丈夫だ。心配いらないよ」


和彦は奈々恵を自分の方に抱き寄せ、注意深く今の状況に集中した。その時、瀬崎大臣が「それ」に向かってゆっくりと近付き始めたのだ。そして瀬崎は「それ」に対して慎重に話し掛けた。


「あ、あの、言葉は通じますか?貴方は何者でしょうか?」


すると謎の存在は瀬崎の方に振り向き、彼の頭の先から両足の先までじっくりと見詰めてくる。暫くの沈黙の間……と思いきや。


「成る程~、もしや貴方が多くの人間達を統括している「政治」と言う名のグループリーダーの一人ですか?」


瀬崎は、その者の言葉で呆気にとられていた。さっきまでは目の前にいる得体の知れない存在に怯えきっていたが、その存在は急に話し掛けてきたと思えば何と自分達が使う同じ日本語でぺらぺらと話し始めたではないか!あまりの出来事に瀬崎は困惑しつつも、コホンッと一つ咳払いした後、冷静な口調で答えだした。


「はい、その通りです。私は瀬崎勇武環境大臣と言う者ですが……すみませんが、貴方は一体……?」


「おっと、これは失礼しました。私の名前を伝えてませんでしたね?改めましてこんにちは、瀬崎勇武さんに人間の皆さん。私の名前はウダンド。バンディラス軍団の考古学者です」


ウダンドと名乗った者は丁寧な言葉遣いで話し、深々とお辞儀をした。


(ウダンド…?バンディラス軍団…?一体何を言っているんだ?)


瀬崎は次の質問を尋ねようとした時、今まで瀬崎の傍に待機していた女性秘書、雪乃は彼の前から出てきてウダンドの方へ向かい、ウダンドの顔の前に指を指した。


「あなた!『ウダンド』とか『バンディラス軍団』とか何だか知りませんが、そんな着ぐるみを着ていないで直ちにこの場から立ち去ってください!本日は瀬崎環境大臣の演説の日なのですよ、それをそんなふざけた着ぐるみを着て演説の邪魔をする等許しませんよ!すぐに警察に」


雪乃が少し威圧な態度でウダンドを見上げながら責め始めた途端、ウダンドはゆっくりと雪乃の方に顔を見下ろすと一言呟いた。


「うるさいですよ、あなた」


そう言うとウダンドは右手の人差し指を彼女の額に向けた。するとウダンドの指先が赤く発光し始めたと思いきや、指先から一筋の細い光が射出され、パアァァァーーーンッと、雪乃の眉間を容赦なく貫いた。約二秒経過した後、雪乃秘書の体はゆっくりと後方に倒れた。瀬崎は自分の足元に倒れた彼女を見ると、唇を震わせながら彼女の名前を口にだした。


「ゆ…雪乃、さん……?」


雪乃の表情は凍りついたかのように眉ひとつ動かず、後頭部から瀬崎の足元まで、赤い鮮血が広がった。


「あ、あ、ああぁぁぁ……」


瀬崎は言葉を失っていた。長年秘書として、同時に掛け替えの無いパートナーとして、いつも傍にいてくれた女性がたった今「殺された」のだ。


その光景を見た観衆の一人の女性が甲高い悲鳴を上げた。同時に観衆は目の前で起こった出来事に理解できないまま、悲鳴をあげながらその場から一斉に逃げ出そうとした。放心状態の瀬崎は四人のSP達に支えられながら、何とかその場から脱する事ができた。

大勢の人達が慌てて逃げ惑う中、和彦は奈々恵を抱き抱え一目散に走ると、体育館の支柱の陰に二人で隠れた。和彦は息を切らしながら奈々恵をゆっくり下ろし、支柱の陰から周りの様子を見ていた。


「ハァハァ……奈々恵!怪我はしてな…?」


和彦は奈々恵の方に振り向くと、奈々恵は顔を真っ青にして座り込んでいた。彼女にとっては、さっきまで瀬崎大臣の呼び方に対して注意を掛けた女性だが、それ以上に人生初めて人が殺された場面を見てしまったショックの方が大きかったようだ。


「奈々恵、しっかりし」


「お父さん……、あの秘書の人、殺されたの……?」


和彦は奈人恵の前にしゃがみ込み励まそうとするが、彼女の目を見た瞬間、言葉が詰まった。奈々恵の目からは大粒の涙が流れていたのだ、初めて体験した人の命が奪われた恐怖に心が押し潰されそうになっていた。

和彦は自分の両手をそっと奈々恵の頬に優しく触れると、


「……奈々恵、お父さんの顔を見なさい。大丈夫、必ずお前を守るからな」


と言い、指で涙を拭ってあげた。奈々恵が「お父さん」と言おうとしたその時、先程までにいた中央広場から激しい銃撃音が響き渡った!和彦は再び支柱の陰から見てみると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。


先程、瀬崎達が立っていた場所の上空に浮かんでいる黒い渦を中心に、あちこちの方角から更に幾つかの黒渦が出現し始めたのだ。そして、その一つ一つの渦からザッザッザッと大勢の足音と共に数多くの人影が見え始めた。多くの渦から出現したその者達は全員同じ容姿をしていた。体は金属に似た質感と輝きを見せ、頭部の中心には赤い眼光を放つ一つ目があった。そしてその者達は見たことのない形状の銃器を所持していた。


続々と黒渦から出てきた大量の一つ目の存在達は、まるで軍隊のように綺麗に揃った足並みで行進し、やがて一斉に立ち止まった。すると彼らの先頭に先程、雪乃秘書を射殺したウダンドの姿があった。ウダンドは前方の約10kmの先まで逃げている人集りに向けて指を指し、強く、そして残酷な命令を言い放った。


「スラウグハター達、前方約10kmの的に向けて、一斉射撃!!」


命令を聞いた金属の兵士達ースラウグハター達-は、怯え逃げ惑う人達に向けて銃の引き金を引き、容赦なく銃撃を開始した。辺りに飛び交う鋭い銃撃音、響き渡る人々の断末魔、次々と倒れ伏せ動かなくなった人の死体。その景色を見ながらウダンドは右腕の通信機を起動させ、静かに報告を伝えた。


「こちらウダンドよりバンディラス軍団へ、第1第2の座標ポイントを送ります。これから予定通り、地球侵略による『悪魔の進軍』を開始します」


そんな悲惨な光景を見てしまった和彦は、傍で座り込んでいる奈々恵の腕を強く引っ張ると「逃げるぞ!走れ!」と叫び娘を連れて駆け出した。奈々恵は懸命に走りながら周囲の光景を見渡した。道端には多くの人達の遺体が転がっていて、まるでこの世の終わりのようだった。


ーーこの日、人類にとって最悪な出来事が起こり始めたのだったーー