愛媛旅行① | 新・よもやま話の箱

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ヤフーブログより移転してきました。

ゴールデンウイークの5月2日から4日まで、高校時代の友人と愛媛に旅行に行っていました。

 

昨年の12月から計画していて、ずっと楽しみだったのですが、4月末頃から体調に異変が出ました。起きだすと気分が悪くなり、何かを考えるだけで吐き気がします。ただ、熱もないし食欲にも異常がなく、精神的な原因が考えられました。心当たりがあります。こんな調子では旅行に行っても迷惑をかけるだけだと、4月の終わりに友人に相談しました。

 

友人は「いざとなったら一人で行って楽しむから大丈夫。滞在先は連泊だし、着いてしまえば休むこともできる。もう少し休んでから考えたら」と言ってくれました。

 

その言葉に励まされ、旅行前の数日は養生に努めました。そのおかげか、前日には調子がかなり良くなります。前日、友人に「何とか行けそうだ」と連絡を入れ、当日の待ち合わせを調整しました。

 

しかし、当日の朝、昨日の好調が嘘のように調子がおかしくなります。この不安定さも精神的な原因をうかがわせます。旅行先で体調がおかしくなったらどうしよう、とか考えて不安を増大させてしまったからかも知れません。

 

何とか、6時半に家を出て東京駅に向かいましたが、それは友人に謝るためでした。待ち合わせ場所で友人に「また体調がおかしくなってしまった、やはり無理そうだ」と伝えました。友人が「分かった」と言えば謝って帰るつもりでしたが、少し考えた友人は「まだ出発まで時間があるし、少し休んだら」と言いました。駅のベンチに座って休むうち、気分が少し楽になりました。気晴らしに立ち上がって周りを少し散歩すると、もう少し気分が楽になりました。この時、私の中で決心がつきました。

 

友人の元に戻った私はこう言いました。

「覚悟を決めた。とりあえず、一緒に行くよ。ずっと楽しみにしていた旅行だから」私の中で、もしかしたら、おかしいのは心ではなく体かも知れない。この尋常でない異変が体から来るのであれば、もう旅行に行くのはこれで最後になるかも知れない。それならば、人生最後の思い出を作ろう。そこまで思い詰めていました。

 

 

前置きが長くなりましたが、こうして、私達の愛媛旅行が始まりました。

 

まずは8時半出発の新幹線で、広島の福山まで。

何か考えるだけで気分が悪くなる状態だったので、あまりしゃべることもできず、私は窓の外の景色を見ながら、音楽を聴いて過ごしていました。そのうち体調も落ち着き、大阪辺りまでは元気でしたが、乗っている時間が長くなるにつれ、再び少し不調になりました。福山に着いたのは3時間半後。12時を少し回った頃でした。

 

駅を出ると、すぐにレンタカーの事務所に行き、車を借りる手続き。友人の運転で福山の市街地に出ました。お昼をどうするかという話でしたが、途中の道の駅で食べることにしました。

 

四国に行くのに、なぜ広島の福山に来たのか。

察しの良い方はお気づきかと思いますが、今回はしまなみ海道を通って四国に入るルートなのです。

 

昨年、同じ友人と四万十まで旅行に行きましたが、

その時は電車で瀬戸大橋を渡って四国に入りました。

それから「今度四国に行くときはしまなみ海道で行きたい」と私が言い出したことで、今回の旅行が決まりました。

 

しまなみ海道に入ってすぐのサービスエリアで食事。

友人は、尾道ラーメンとタコの天ぷらを注文。

私は、気分が悪くなるといけないので、チューブゼリーを

買って、それを食事にしました。

しかし、友人の食事がとても美味しそうに見えました。

食欲自体はあったので、小皿を持ってきて、

友人に尾道ラーメンを一口とタコの天ぷらを2つもらいました。

とても美味しかったです。

 

サービスエリアの裏手は絶景でした。

静かな港町が一望できます。

 

道中、このような絶景に各所で出会えました。

 

道中、島々を結ぶこのような大きな橋を、何度も渡ります。

一つ一つの島がとても大きく、まるで山道を走っているようでした。

 

これも途中の道の駅から見えた光景。

穏やかな景色、心地よい気候に、不調だったメンタルが少しずつ解きほぐされていくのが分かりました。

 

こちらの道の駅では、取れたての海の幸を、その場で生け作りやバーベキューにして食べる事ができます。私達が着いた15時頃はすでに受付が終了していましたが、普段は超人気なんだろうなと思いました。余談ですが、3日目に立ち寄った時は長蛇の列でした。

 

途中の道の駅で物産や風景をさんざん満喫し、本来2時間で到着する松山に着いたのは17時過ぎ。

5時間以上もしまなみ海道を満喫していました。

初めて見る風景に、心は大満足でした。

 

17時過ぎ、ホテルに到着してチェックイン。

夕食はホテルではなく、友人がおすすめだという「かどや」に行くことにしました。何でも、その店では「鯛めし」が食べられるのだとか…。

 

「鯛めし」と聞くと、私は鯛が入った炊き込みご飯が頭に浮かびましたが、この愛媛ではそういった普通の鯛めしと共に、「宇和島風鯛めし」というものがあり、それは出汁に鯛の刺身を漬けこんだものを出汁と一緒にご飯にかけて食べるという、とても贅沢でダイナミックな食事でした。「かどや」は鯛めしを食べられるお店の中でも特に人気なのだとか。

 

正直、17時は夕ご飯に行くには少し早い時間でしたが、私は、そんなに人気ならば、まだ人が少ない今の時間に行った方がいいと提案し、部屋に荷物を置いてすぐに出かけました。

 

お店には並ばずに入れましたが、私はまとまった食事を摂ることにまだ不安があり、サラダや刺身などを食べていました。そのせいか、せっかくの食事の写真もちゃんと撮れていません。

しかし、友達が食べる様子がとても美味しそうで、少し分けてもらいました。結果的に、友人のご飯を半分貰ってしまいました。

 

会計を済ませて店を出ると、地下のお店から1階まで長い行列ができていました。思った通りです。

 

食事後は、松山の街をブラブラ。


松山市の中心には松山城があり、そこから「大街道」(おおかいどう)という商店街が延びているのですが、その商店街を見てみることにしました。

見た目も派手な大街道。

地方都市の商店街は、少なからず観光客向けのお店が入っていたりするのですが、この大街道はチェーン店や地元の人向けのお店ばかりで、数百メートルの間に観光客向けのお店は見当たりませんでした。これは、豊富な観光資源を持ちつつも、松山の人々が歓呼資源に頼らずに活発な経済活動をしていることを意味しています。まるで東京や大阪のような大都市です。

 

私は、あるお店に度肝を抜かれてしまいました。

それがこれです。

アーケード街のお店の一つですが、ドアを開けると遥か上まで吹き抜けになっています。一体何だこれはと思ったら、友達が教えてくれました。何と三越デパートなのです。

 

デパートというと、ともすれば商店街とは対立関係になってしまいますが、ここでは、大きなデパートが商店街の一員として共存しているのです。奇跡的な風景を見たように思います。

 

大街道を数百メートル進むと、今度は西に折れて「銀天街」という商店街が始まります。これも地元の人向けのお店ばかりが沢山入っていて、1キロほど離れた松山駅までつながっています。松山市の経済規模の大きさに、度肝を抜かれました。

 

商店街の周囲も歩き回りましたが、周囲にもたくさんのお店があって賑やかです。それでいて、東京の歓楽街のような喧噪はなく、静かな雰囲気も併せ持っています。

 

「仕事さえ何とかなれば、ここで暮らしたいな」

 

友達と、本気でそう語り合っていました。

 

21時ごろ、ホテルに帰宅。

旅の疲れもあり、この日は早めに休みました。

 

(つづく)