私が、かなり守られていた、ということだったかも。

 

  ・・・・・と、

 

  久しぶりに更新するべく

  画面を開こうとしていたら。

 

  またぞろ、

  兄さま達ありがとう。。。

 

 

  タイトルに挙げた感覚は、

 

  いま考えても、

  常時、すべてに対して、ですね。

 

 

  かなりの俯瞰も、

  抽象度をあげることも、

  絵で示すなら、

  頑丈な卵の殻の様なもの

  だったかも。

 

 

  ただし、

  この視点の持ち方は、

  何となくそうなっていた時期から始まり、

  意識的に行っていた時期をはさみ、

 

  途中からは、

  オートマティックになっているのを

  自覚している時期、という感じです。

 

  幼少期から社会人になった頃まで、

  そういった感覚が、身近にいた人からは

  ドライと捉えられたり、なぜか自分勝手、

  と思われ、時に、仲間外れ、という状況も

  起こっていました。

 

  いまでこそ、こんなにあっさりと書きますが、

  渦中や、まだリリースできていなかった時は

  なにがどうで、あんなことになるの????

  と、理解が困難でした。影は徐々に息を

  潜めていきましたが^^;

 

 

  そして、今思うと、理解したいあまりに

  (解決するため)理由を無理やり作り、

  クリアゲームを展開していたようです。

 

  例えば、

  ・いつも自分が至らないから、

  ・心づかいが足りないから、

 

  などと。

 

  周囲の感情や状態はほぼ瞬時に

  わかることもありましたが、

  人間臭く感情的な側面を掬い取るべく、

 

  いわゆる、顔色をうかがわざるを得なく

  なっていた時期が続いていたのです^^;

 

  あえて一言で表すなら、

  [こじらせ]というものでしょうか。

 

 

  結局は、この俯瞰も、抽象度をあげた視点も

  必要、と言いますか、ポイントとしてメディアでも

  取り上げる方も出て来られました。

 

 

  それって、

 

  言ってみれば、私自身の中に、そういうもが

  孕んでいるからこそ、そういった記事と

  目が合うのですがね^^;

 

 

  そういうのをお人によっては、鏡の法則

  という表現をされたりもしますが。

 

  個人的にしっくりくるのは、

 

  自身の内側の顕在化、という感じです。

 

  この状態を、さらに誰かが眺めるなら、

  似たようなものに見えるかもしれないけれど、

 

  映し出されているというよりは、

  実際に、目の前に自身を見て触れている、

  と、実感してしまったからです。

 

  そして、

  そのタイミングとリンクするように、

  出会ったヌーソロジーという視点です。

 

  今は、提唱されているお方や関係者の方と、

  やり取りはしていませんが。

 

  出会った当初は、何を提唱されているのか

  心が向かうままに、レクチャーに参加して

  いました。

 

  ただ、私に自身のパターンとして、

  エッセンスを受け取ると、あとは、

  自身の日日の生活で体感し、

  落とし込まれるのを観察し

  智慧と昇華する感じなので。

 

  今回の人生では、グループ行動というのは

  長くは必要無いのか、静かにシフトしていく、

  という感じなのです^^;

 

 

  時には、この一連のことを単なる

  なにかしらの自作自演で、単に

  自身をさらけ出すが怖いだけでは?

  と、落ち込んだこともありました。

 

  ただ、どうやったって、感情よりも、

  構造をみちゃう自身の動きに確信を

  もってからは、不必要に自分を責める

  ことをしなくなりました。

 

  構造をみるというのは、結局、俯瞰し、

  抽象度をあげて眺めると、起こること

  なのです^^

 

  託されたのか

  もともとそういう氣質なのか

 

  はたまた、

  やはり、そんな感じでサポートされていたのか

  そのうち、同期したのか

 

 

  とまあ、今回は、

  セルフフィードバックシリーズでした。

  (当blogは、だいたいそうなんですけどね☆)

 

 

  では、

  また次の機会に^^

 

 

 

  また、さらに冷え込みそうです。

 

  どうぞ、ご自愛くださいませ。

 

 

  merci merci      みゅう mu

 

 

  拝