「新しい生活様式」という言葉を
 
初めて耳にした時の違和感の正体が分かった。
 
コロナの感染拡大の状況が
 
まだそんなに分かっていない時期だったのに
 
これからどうなるのか、全然分からなかったのに
 
まるで、ずうっと前から用意していた言葉のように
 
あるいは
 
まるで、その言葉に従うのが当然かのように
 
テレビがさらりとこの言葉を言ったからだ。
 
 
 
だから、違和感しか感じなかった。
 
 
 
この言葉に対して
 
納得のいく説明をして貰えていないのに
 
新しい生活様式に変えるのが当然、という流れに
 
違和感を覚えるのは
 
コロナ前から、用意されていた言葉だったからこそ。
 
 
 
 
この、たったひとことで
 
日本国憲法つの原則のひとつ
 
「基本的人権の尊重」を奪われてしまった
 
大げさに言えば、そんな気がしたからだ。
 
 
 
 
意味のないことの要請。
 
有無を言わさぬ雰囲気。
 
 
コロナ禍の今だけじゃないの?
 
収束したら元どおりじゃいけないの?
 
どうやら元どおりじゃいけないらしい。
 
 
 
 
なるほど、納得。
 
 
 
 
私はコロナの陰謀説とかまったく信じていなかったけれど
 
違和感の正体に気づいた今は
 
さて、どうかな。
 
本当に陰謀なのかもしれないね。
 
陰謀なのか、単なる過剰反応なのか
 
それとも私以外の99%の人たちの方が正しいのか
 
何を信じて生きていくか、自分の頭で考えなくちゃ。
 
 
 
 
 
 
 
写真は
 
あの騒動(なんの?)の前に投稿していた
 
茨城・日立〜五浦海岸ドライブの続き。
 
 
 
 

 

 
 
五浦六角堂を出てからは
 
海岸を歩きたくて
 
勿来の関海岸に行った。
 
 
 
 

 

 

 
二つ岩と鳥居。
 
 
「二つ岩」という名前の岩だとは思わなかったから
 
手前の大きな岩しか撮らなかった。
 
 
 
写真の右端に小さい方の岩がちょこっと写っている。
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地層が面白いなあ、とか思っていたのに。

 

丸いやつは化石かなあ、とか思って見たのに。

 

 

 

だから、

 

なんで行政ってやつは

 

きっと、景観や自然保護とかの名目なんでしょうけれど

 

岩の周りに不自然に人工的な岩場を作るのかなあ

 

なんて、憤慨していたら

 

二つ岩そのものが

 

コンクリートで再現したものなんだって、あらまあ

 

騙された。

 

 

 

 

いつも思うのだけれど

 

日本の海岸ってば

 

浸食から領土国土を守るため?

 

(人を守るためじゃないよね?)

 

仕方のないことなのかもしれないけれど

 

波消しブロック大量投入された海を見るたび

 

ため息が出る。

 

 

 

 

でもまあ、茨城ドライブは楽しかった。

 

 

 

 

 

思えば私とハルオさんは

 

コロナ騒ぎが起こってからも

 

我慢することなく四六時中お出かけをしている。

 

緊急事態宣言下にも

 

ダムやら古墳やら、人の少ない場所を選んで

 

禁断の県跨ぎをしていた。

 

 

 

 

残り少ない人生を謳歌していたわけなのだが

 

政府の自粛要請に従って

 

我慢をしていた人たちから見れば

 

それは抜け駆けに思えるのだろうから

 

皮肉なコメントが入るのも仕方があるまい。

 

 

 

 

今、

 

ノーマスクを批判しているひとたちにも

 

自分たちが我慢してしているのに

 

マスクを着けないなんて許せない、などどいう

 

感情があるらしい。

 

 

 

こっちからすれば

 

我慢するのやめればいいじゃない?

 

と思うのだけれど。

 

だから、人を妬む前に「戦うべきは自分自身だよ」と言っている。