唐突な投稿かと思われるかもしれませんが

 

私がこのところ考えている「世間」と

 

この問題も繋がっていると受け取っていただけたら

 

幸いです。

 

 

 

カサンドラさんたちの問題です。

 

 

 

 

カサンドラと自称する方(たち)のブログを拝読して

 

悲しくなって

 

アスペルガー叩きは嫌い、と発言したのは

 

彼女(たち)が「アスペルガー」と決めつけた

 

パートナーやご家族の視点に立って

 

ものごとを考えていないからでした。

 

 

 

ご自分の立場でしか考えていないかなあ、って。

 

でも

 

愛するパートナーや家族から「アスペルガー」

 

とされてしまった彼らの視点に立てば

 

カサンドラさんたちの

 

許容力(キャパシティー)の狭さを感じるかも

 

しれないなあ、と思うのです。

 

 

 

 

 

世間というものは

 

いわゆる「空気感」なんですって。

 

日本人特有の「空気を読む」。

 

これが世間です。

 

 

 

なるほどなあ、と思います。

 

先進国の中では日本が

 

いちばん、発達障害者が多いのだそうです。

 

 

空気を読まなければならない=世間

 

だとすると

 

空気が読めないために

 

言い換えれば

 

世間と足並みを合わせるのに抵抗があったために

 

発達障害ではないのに

 

発達障害と決めつけられてしまう男性が多いから

 

先進国の中では日本が

 

いちばん、発達障害者が多いのかもしれませんね。

 

 

 

でも

 

カサンドラさんが苦しんでいるのは事実ですから

 

苦しんでいる事実を否定するつもりも

 

私にはありません。

 

それを解決するのには

 

ご自分が変わるのが一番かと私は思っていて

 

それを主張し続けていますが

 

カサンドラさんたちからは嫌われます。

 

 

 

いろいろ

 

許せるといいかもしれないですね。

 

そして

 

少し、アバウトに生きてみる。

 

 

 

 

たとえば

 

夕飯は無理して作らなくていいし

 

部屋は散らかっててもいい。

 

夫の洗濯物なんて

 

ほっとけば

 

着るものがなくなったら、自分で洗うかも。

 

ぐうたらな妻はカサンドラにはならないかもね。

 

 

 

 

 

 

 

そして

 

先の、飛行機のマスクおじさんの件もそうなのですが

 

おじさんに同調するつもりは微塵もありませんが

 

片一方の主張だけで

 

悪と決めつけるのはどうかな、って

 

思うんです。

 

 

 

 

 

 

 

愛するパートナーやご家族を

 

発達障害と決めつける前に

 

ご自分の性格を振り返ったり、お相手の言い分を聞いたり

 

お相手の立場から考えたり

 

そういうことが必要じゃないかなって。

 

 

 

 

ただし

 

酒乱賭け事借金暴力等は除きます。

 

あくまで

 

些細な行き違いについてのことですが。