元夫との離婚から、十数年後
次男が家を出たことをきっかけにして
初めて一緒に暮らしたヒトさんと別れてからは
一人で生きようと決めたはずだった。
どうしてそう決めたのかは、
「あなたは男の人が側にいなければダメな人なんだと思う」
友人からこのように言われたことが
頭にこびり付いていたこともあった。
けれど1番の理由は
自分のことがだらしないような気がして
私が私を許せなかったのだと思う。
以前に、あるお酒の席でのこと。
「いったい何人、男が変わったと思うんだよっ!」
母子家庭の男子学生が母親の交際相手のことで
叫んでいた。
男子学生の母親は市役所の職員、ということだったけれど
男子学生は端正な顔立ちをしていたから
そのお母さまだもの
きっと綺麗な方なのだろう。
けれど、上手に生きられないのだね。
男子学生の母親のことはともかくとして
私がまた男性とお付き合いする、ということは
私の息子たちも、男子学生と同じ思いをする、ということで
私はそれが一番、許せなかった。
世間が私をどう思っても、それはどうでもいいことで
でも
息子たちに嫌な思いをさせたくなかった。
嘘だな
私は
息子たちに、しょうもない母だと思われたくなかった。
ヒトさんを家から追い出すことに力を貸してくれた息子たちに
一人でたくましく堂々人生を生き抜く
常識的な母親だと思われたかった。
これは本心で
私は息子たちに
胸を張って生きている、曇りのない母親なのだと
そう思って欲しかった。
けれど
「いっそ、彼氏作れば」
陽だまり君や王子のことで
ぐだぐだ愚痴ばかりこぼす私に教室のお姉さまが放った言葉で
私はまたブレてしまう。
王子のことは、いつまで経っても忘れられない。
陽だまり君のことは、ウザくて嫌になってしまう。
心療内科通いはもう終わっていたけれど
処方していただいた薬はお守りのように持っていて
眠れない時や
悲しくて仕方がない時には飲んでいた。
心療内科の最後の診察時に
お医者さまが多めに処方してくださった薬は
あと少ししか残っていない。
「いっそ、彼氏作れば」
言うのは簡単だけれど
実行するのは難しい。
けれど、物事は単純なもので
この言葉を言ってくれたお姉さまは
ごくごく普通の主婦だった。
若い頃に結婚をして
主婦業に専念をしていて
ご主人のお母さまが隣家に住み
お母さまの面倒を見ながらガーデニングに精を出し
趣味は音楽と絵画鑑賞と小説を書くこと。
私が目を開けて直視できないほど
眩しくて真っ当な人生。
ご主人一筋の真っさらな人生。
そんな彼女が私に言ってくれた。
「いっそ、彼氏作れば」
いいの?
こんなだらしないダメな私が、凝りもしないで
また、彼氏作っていいの?
真っ当な人生を歩んで来た人からの言葉が
私には免罪符に聞こえた。
馬鹿みたいに思うでしょう?
でも、許されたんだと思ったの。
私が、グダグダした自分を立て直すために
私を守ってくれる男性を探してもいいのだ、と
世間から許されたのだと思ったの。
だから
お姉さまの言葉が救いになった。
だけど
どうやって、彼氏を作ったらいいのやら
簡単なことではないし
その方法も思いつかなかったから
とりあえず
陽だまり君と遊びまわっていた時に
たった一度だけ参加をした
お見合いパーティーのことが頭に浮かんだ。
けれど
そのパーティー
初参加でマッチングしたお相手は
ただの助平親父だったから
(だって初デートで我が家に来たい、って言う馬鹿だったし)
パーティーに参加は気が進まなかった。
そして
ネットをあれこれ探し回って
年齢条件が合う婚活バスツアーに参加を申し込んだのでした。
写真は
王子とお付き合いしていた頃に
一人旅をしたアンコールワット遺跡群。
王子はアンコール遺跡が好きで
シェムリアップには何度も旅をしていた。
王子のお勧めの遺跡は
『バンテアイ・スレイ』。
もちろん、私も訪れた。
王子が行った時にはいずれも悪天候で
飛ばなかった
バルーンにも私は貸切で乗った。
その度その度
私は王子にメールを送った。
普段、メールを読まない王子から
すぐに返事が帰って来た。
時には早朝、時には深夜のメールの交換が
旅の間中、続いた。
断っておくけれど
LINEではなくメールです。
王子からのメールは30通を超えた。
だから私は
王子はやっぱり私のことが好きで
王子の気持ちを疑うこともなく
幸せに包まれてこの一人旅を終えた。
けれど帰国後、再び王子とは連絡が取り辛くなる。
私はまた悲しみのどん底に突き落とされてしまう。
無自覚で人を悲しませる人間がこの世界には存在する。
けれど私は王子を憎んではいない。
王子のことがあったから
今に繋がっているのだし。
続きます。