1年前の3月11日に

 

私は「せめて10年だけでも」とタイトルを打って

 

震災のことを書いています。

 

 

 

 

震災に関しては

 

このブログではなくて

 

別のブログに書いていたこともあって

 

このブログにあのような形で書かせていただいたのは

 

1年前の、あの投稿が初めてだったように思います。

 

 

 

 

別のブログは、愛犬たちの日常を綴るのがメインだったため

 

一昨年に愛犬が死んでしまったことにより

 

見るのも読むのも辛くなって閉じたままになっています。

 

 

そのブログは震災のことや

 

ボランティアのことを

 

細かく記録しています。

 

 

だからきっと今日は

 

どこかで誰かの目に留まっているかもしれません。

 

 

 

 

私はもう

 

別ブログには震災のことは書けないのですが

 

震災から9年の今日も

 

やはり

 

せめて10年だけでも震災のことを書かなければ、

 

と思っていて、

 

だから今、ここに書いています。

 

 

 

 

特に、新型コロナのために

 

各地で追悼の式典が自粛されている今年の3月11日だからこそ

 

ささやかでも伝えて残しておかなければ、と思います。

 

 

 

 

 

震災発生後

 

初めて郷里に向かえたのは

 

3月25日。

 

 

 

目を覆いたくなるような惨状が広がっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の3枚の写真は

 

実家から県道を挟んで10分ほど歩いた住宅街。

 

震災から1ヶ月後の4月11日に撮りました。

 

 

ほんの僅かな距離でも、実家よりも海寄りのこの住宅街は

 

実家のある場所とは比べ物にならないくらいに

 

被害は酷いものでした。

 

 

なのに

 

報道のカメラは入りません。

 

 

 

なぜ、報道しない?

 

 

 

私はもうそれだけで怒っていて

 

怒りながらカメラを構えて写真を撮り続けました。

 

 

 

 

家の後片付けをしている被災者の方たちは

 

そんな私を叱りませんでした。

 

 

「生きて帰ってください」

 

 

庭に出て、ホースの水で洗い物をしていた男性に声を掛けられました。

 

 

 

 

 

この言葉が9年後の今も

 

忘れられないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の2枚は

 

初めてボランティアに参加をした日

 

2011年の5月に撮ったもの。

 

 

 

 

女川です。

 

 

 

 

 

下の写真は交番でした。

 

 

 

この建物は震災遺構として

 

周囲が整地され残っています。

 

 

 

 

東北にお出かけの際は

 

私の故郷の石巻と女川の復興の様子と

 

まだまだ進んでいない様子も

 

ぜひ訪れてご覧頂ければ幸いです。