病気ではありません。認知症でもありません。でも大変です。

 

 

 

このように医師から言われた母の「大変さ」の正体を知りたかったから

 

私はまず、書店に行って人格障害について書かれた本を買った。

 

も16、7年も昔のことだったから

 

今のようにネットの情報は得られずそうするより仕方がなかった。

 

 

 

本の中にはいくとおりの障害が書かれていた。

 

例えば、以下のように。

 

 

  • 妄想性パーソナリティ障害 (広範な不信感や猜疑心が特徴)
  • 統合失調質パーソナリティ障害 (非社交的で他者への関心が乏しいことが特徴)
  • 統合失調型パーソナリティ障害* (会話が風変わりで感情の幅が狭く適切さを欠くことが特徴)
  • 境界性パーソナリティ障害 (感情や対人関係の不安定さ、衝動行為が特徴)
  • 自己愛性パーソナリティ障害* (傲慢・尊大な態度を見せ自己評価に強くこだわるのが特徴)
  • 反[非]社会性パーソナリティ障害 (反社会的で衝動的、向こうみずの行動が特徴)
  • 演技性パーソナリティ障害 (他者の注目を集める派手な外見や演技的行動が特徴)
  • 依存性パーソナリティ障害 (他者への過度の依存、孤独に耐えられないことが特徴)
  • 強迫性パーソナリティ障害 (融通性がなく、一定の秩序を保つことへの固執が特徴)
  • 回避性[不安性]パーソナリティ障害 (自己にまつわる不安や緊張が生じやすいことが特徴)

 

 

 

けれども母は、この中のどれにも当てはまらなかった。

 

 

 

私は更に、他の本を買い求め

 

それでも足りずに図書館へ行き

 

人格障害について書かれている本を読んだ。

 

 

けれども、母の特徴について書かれている本はなかった。

 

 

 

こういったことに探究心のない姉にも

 

本を読ませた。

 

 

「どれも、お母さんとは違うね」

 

 

姉も、確かにそう言った。

 

 

 

 

 

病気でもなく、認知症でもなく、人格障害でもない。

 

 

だったら、母はいったい何者なのか。

 

 

 

 

答えが出ないままに母は父の後を追うように

 

父が他界した二年後に逝った。

 

自宅に居たのに、家族(姉一家)と暮らして居たのに

 

たった一人の寂しい旅立ちだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこからは

 

私は母の不思議さを考えることは止めてしまい

 

ただ、辛かったことだけを

 

時折思い出しては嘆いていた。

 

 

 

 

 

きっかけは王子だった。

 

 

王子の不思議さは、母のそれとは違っていた。

 

 

 

だから初めは、王子が不思議なのではなく

 

私がどこか変なのだ、と思い込んでいた。

 

 

 

けれど

 

過去に於いて、男性とのケンカや別れがあっても

 

王子とのお付き合いで私の身体に生じる不快さは経験したことがなかった。

 

 

 

 

王子は不思議な人だったけれど

 

とても優しい人で

 

何より、大学教授だもの、常識的な大人だった。

 

にこやかで饒舌で、女性を楽しませることも知っていて

 

好奇心も旺盛で一緒にいると

 

私は楽しくて仕方がなかった。

 

 

だけど

 

私は病気になった。

 

 

 

 

原因は

 

私に向ける優しさと楽しさと、王子が私を手放さないことと

 

王子の連絡の取りづらさと会いづらさが

 

相反していたからだ。

 

その対極にある行動にいたたまれなくなって

 

私は、ネットに

 

会えない

 

連絡が取りづらい

 

メールの返事が来ない

 

等のキーワードを打ち続けた。

 

 

 

けれど、出て来る言葉は

 

「あなたに気がない」

 

ばかりだった。

 

 

だけど、王子の好意は確かに感じていたから

 

そんなはずはない、と探して探して

 

そしてやっと出て来たのは

 

アスペルガーご本人が異性との付き合い方について書いたブログだった。

 

 

 

 

そこには王子(のような人)がいた。

 

 

 

 

 

これだ!

 

と確信したから

 

それからはネットや書籍でアスペルガーに付いて書かれた本を

 

貪るように読んで

 

そして、母も

 

母の不思議さもアスペルガーに寄るものだと確信して

 

 

生まれつきの障害であったことを理解し

 

どうにもならないことも理解し

 

責めても仕方のないことも理解して

 

全てを許した。

 

 

 

 

 

王子のことは今でも好きだし

 

ひょっとすると、元夫よりも好きかもしれないし

 

初めてのボーイフレンドよりも好きかもしれない。

 

 

 

病気にはなったけれど、ひとつも恨んではいない。

 

もちろん、母のことも。

 

けれど、

 

周囲から嫌われて辛い人生だったかなあ、と思うことはある。

 

 

 

 

 

人格(パーソナリティー)なんて

 

100人いたら100通り。

 

アスペルガーさんだって100人いたら100通り。

 

 

 

どこにその基準があるのか、と言ったら明確なものはなくて

 

周りや本人が困っている、ということがその答えなのかもしれないから

 

困っていたらまず

 

決めつけないで、勉強するとか

 

お医者様に行くとか。

 

けれど

 

お医者様だって研究者だってまだまだ研究途中の分野なのだから

 

決めつけて指摘して差別するのは悲しい。

 

 

 

 

思うのだけれど

 

日本に発達障害の認定者数が特に多いのは

 

日本人は「察する」「察して欲しい」国民性があるからじゃないかな。

 

察しが悪いと、日本人は困るわけで

 

アメリカ人ならハッキリと物を言うから困らないわけで。

 

逆にアメリカ人は人格障害者が多いらしいです。

 

これは、生まれつきではなく原因がある。

 

アメリカは多民族国家で貧富の差も民族間の差も激しいからかもね。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は1999年の上海。

 

 

 

 

私が大枚をはたき両親に上海と蘇州の旅行をプレゼントした。

 

母も父もご機嫌だ。

 

母は不思議な人であったけれど

 

この写真だけを見れば、母は障害者ではなかったように思う。

 

不思議だけれど

 

困った人ではあったけれど

 

それを「障害」と呼ぶ社会って何なのかなって思うのよ。