「統合失調症の一族: 遺伝か環境か」
ロバート・コルカー







これを読む前に
「言ってはいけない」橘玲
「サイコパス」中野信子
「ギフテッドの光と闇」
を読んでおり、それらから得た知識が下地にあったので非常に内容がわかりやすかった。

子供が12人と多く、発狂した順番もばらばらでかつ愛称で呼ばれると「誰だっけ?発狂した子かな?してない子かな?」としょっちゅう確認することになったがこれは仕方ないかなと。

これらの他にも、ちょっと本の題名を忘れてしまったが、一卵性双生児を対象に環境の違いで精神疾患を発症するのかどうかを追跡観察をした本とも照らし合わせると、
統合失調症やサイコパス、自閉症など、精神に何かしらの「異常」があるのはほぼほぼ遺伝が原因であるのは間違いなく、
その保有してる遺伝子が①環境の影響関係なくそのまま発症する、②環境で抑制され発症しない、のパターンがあり、要するにそれこそ保有比率が「人それぞれ」なので遺伝子持ってても発症するかどうかは「人それぞれ」。

この12人の子供のうち6人発症というのは近親婚でもないのに非常に高い確率で、発症しなかった子供らもいつ自分が発症することになるかと怖くて仕方なかっただろうと思う。
ただ、同じ家庭でも立場が違えば経験が違うので、その差異が結果的に大きな分かれ目であったのだろうと推測される。

このように原因の主たるものはその遺伝子の保有の有無なのだが、当然の如く、これを言ってしまうと「じゃあどっち(夫か妻か)のせいなんだ」という話が必ず出てくる。
しかしながら自閉症はともかく、統合失調症の場合は公には原因遺伝子が確定されていないため、どちらかのせいということは決められないので結局は不毛な言い争いになるだけなのだが、わかっていながら相手の帰責性を求めてしまうのは人間の悲しい性だなぁと思った。

この家族は人数こそ多いものの、どことなくばらばらで個々がそれぞれ違う方向を向いて1人でもがいている人が多いように感じた。
もちろん仲良し組もいたけれど、いつも行動を共にしていて精神的な支えがあったように思える子も次々発狂してしまっているので、相棒と呼べる存在の有無は発症の抑制剤にはならないのかもしれない。
まぁ要はどんな環境が抑制剤になってくれるのかってのもわからんということ。
逆に性的虐待は決定的な引き金になりそうだけど、性的虐待を受けた男子は発狂し、女子は発症していない、というのもなぜなのか不思議ではある。それほど遺伝子の割合や子供の性格、プラス環境の組み合わせが複雑なのだろう。

本書にあるように、統合失調症の原因遺伝子の確定や治療については今後も研究の必要性が高く、この家族の1番末っ子(=発症しなかった子)が家族の面倒を見ながら協力していく、という形で終わっているが、その成果が少しでも実を結ぶようにと願ってやまない。

また、こういった遺伝子に原因があると言い切ると差別だなんだと叩かれやすい昨今だが、差別ではなく理解に繋げていければいいと思う。

遺伝子レベルの問題だったら後からそう簡単にどうこうできるもんでもないので、それだったら最初からそうなのだと周知しておいた方が対応の仕方も考えられるしお互いのためではないだろうか。

こういうのは、差別じゃなく区別。

花粉症ですだとか食物アレルギーありますってのも遺伝要素が大きいとされてるのに、それは単に区別で済んでるのだからこういうのもそのうちそうなればいいと思う。

区別したものをそうと認識して生きていくのってあたりまえであり自然なことで、それを非難する最近の風潮はちょっと過敏になりすぎというか、変に人権の意識高いですアピールしてるだけのように思える。

まぁこんなこと書くと叩かれるかもしれんけど、私個人がこの本読んで思った感想ってだけなんで、ふーーんって流してもらえるとありがたいです。