7月7日の七夕は、マタイの会の読書会でした。
読書会に入る前に毎回「魂のこよみ」を読むのですが、今回は15週。
10年以上読書会を続けていると、魂のこよみも同じ週が何度も巡ってきます。
ところが今回は初めての週なので、新鮮です。
「わたしは魔法がかけられたかのように
万象の中に
霊のいとなみを感じとる」
という文言で始まるマントラに対応するのは38週。
そこにはこうあります。
「わたしは魔法を解かれたかのように
魂の胎内に
子なる霊の存在を感じる」
魔法にかかるのは、地球上ではいつも夏です。夏の美しさの本質は魔法にかけられた輝きです。
瞑想のあとの感想のなかで、自分の自我が周りに溶けこんでいるのを感じるという話がありました。
夏は植物の繁茂する季節。そんな植物のなかで、特に個人的に生命力のシンボルと思えるのは、
葛というツタです。どこにでもあるツタですが、他の植物をおおうほど、そのムチのような触手は
おそろしいほど生命力にあふれています。エーテルの力に漲り、もし人がそこに何日もいたとしたら、
必ず巻き付いてくるでしょう。
15週と38週は対極にありますが、それは一言でいうと、拡散と収縮です。
15週のわたしの自我は自分から抜け出し、外へと広がり、どこまでも拡散しようとします。
外界のエネルギーに身を任せ、取りこみ、自分の身体をゆだねます。
対して38週は収縮です。
なぜなら自分の中に「子なる霊」を育み、生み出そうとしているのですから。
夏の拡散が大きかったほど、冬の収縮も強いものになります。
収縮とは、実りですから、しっかりと重みのある「霊の子」が生まれます。
この拡散と収縮は、「霊化と受肉」でもあり、あらゆるものはこのリズムを刻んでいます。
呼吸も小さな拡散と収縮です。
オイリュトミーではバッハの平均律クラヴィーアで、この拡散と収縮のリズムを動きます。
胎内から宇宙の果てへ、宇宙の果てから胎内へ、
なんども繰り返し、意識をこのリズムにゆだねていると、とても心地よくなります。
夏の盛りの葛の「肉体」はやがて枯れ、それを乾燥させ、つるかごを編むことができます。
そして、その生命力を取りこんだ私たちは、自分の胎内で植物のエーエル体を変容させるのです。
