昨日まで最低気温がマイナス20度あたりを前後していたのが、今日はマイナス3度。
ずいぶん暖かく感じられるから不思議。
名古屋にいた時はマイナス3度なんて信じられないくらい寒く感じてたはず。
慣れって面白いですね。
さて、ここミシガン州はアメリカの中でも規制が厳しい方なんだと思います。
レストランがテイクアウトのみになってかなり長かったのですが、2月から収容キャパシティの25パーセント内で店内での飲食が可能になりました。
先日、用事があって家族で夕方出かけたついでに、久しぶりに外食をすることにしたんです。
レストランはミシガンでは有名なイタリアンのチェーン店。
とっても美味しい訳ではないけれど、食事にガーリックブレッドスティック、サラダ、スープが付いてくることもあり割と人気なレストランです。
まだ制限が全て解除された訳ではないので、メニューも限られていました。
私が選んだのはステーキを乗せたクリーミーアルフレイドパスタ。
出てきて先ずその量の少なさにびっくり。
以前は半分も食べたらお腹いっぱいになる量だったのが、私でもこれは物足りないのでは?というくらいの量に激減。(お値段はそのまま)
でもそれは経営上致し方ないのだろうな、と想像できるので別に不満は感じませんでした。
食べ始めて感じたのはその無機質さ。
なんというか、見た目は牛ステーキとパスタなんだけれど、まるで本物そっくりに作られた偽の食べ物を食べている感じがしたんです。
そこで思い当たったのが、この1年、ほぼ自炊で家でご飯を食べるようになって、今までは感覚が鈍っていて感じられなかったものが、家庭料理を続けているうちに感度が上がって、この違いに敏感になったんだ、ってこと。
レストラン(個人経営の想いのあるレストランは違うと思う)って、雇われシェフで、自分が作ったものを誰が食べるかなんて考えもせず、ただマニュアル通りに作っているだけだと思うんです。おそらくそこに愛情はあまり乗っていない。。。
この「食べる人を想って作られる食事」と、そうでないものとの間には実は大きなギャップがあるように感じました。
別に手の込んだ料理を指しているのじゃなくって、たとえおにぎり一つでも、お母さんが握ってくれたものなら、そこには「おにぎり」以上の何かがあって、それを私たちは自然と体に入れているんじゃないかと思うんです。
そして実は、その「何か」がとっても大切なんじゃないかと。
そんなことを久しぶりの外食で感じました。
ご飯を作るのって時にはすごく面倒だけれど、冷凍食品や缶詰なんかも時には使って手抜きも大いにオッケーとして、それでもやっぱり家族と自分のためにご飯は作りたいと思ったのでした。