ある、明け方過ぎても営業しているクラブで、ある人はこう言った。

みんなさみしいんだよ。


人はさみしいと死ぬ。



 1人で産まれ1人で死ぬと言うのは嘘っぱちだ。

人は肉を着る前には、父親の脳内の快楽からペニス、ペニスから放出されて多くの熾烈な競争を経て。そこで太陽に出会い、育まれ産まれるのだ。

 太陽にいる時も、太陽に向かって競争している時も、楽しかったに違いない。
 人は多くの触れ合いから産まれるのだ。

 そこで単体のまま、他と連繋を持たないでは生きられないのだろうと思います。

 生命の躍動として、他との関わり多い方が美しいと言ったのは誰か知りません。
モデル、ミランダ、カーさんは、さらに踏み込んだ表現をされていました。


人は孤独感を越えられない。何故なら、哀しいかなそう出来ている。


 私の先代は統一に殺された。

 経緯はアメンバ限定記事にしました。

 人は満たされていると時をも越えることがあります。

さみしいと何かに頼りたくなる。依存する。ASKAはヤクルトに依存した。
きっと腸内はビフィズス菌いっぱだったろうと思います。

 私は統一を許さない。許す理由がまだ見付からない。
先代は妻が統一に関わることで孤独感から抜けられずあるものに依存し死んだ

 その先代は、名前を残すこと他、幾つかを願い、私に幾つかのことを託されました。
そのうちの一つは間違いなく、先代の妻が統一を抜けることを願って居たのに相違ない。先代の妻は間違いなく統一に浮気し、長年先代を顧みなかった。我ながら統一にはまり、先代をさみしくさせた一因は私自身に間違いなく架かってくる。

先代がもし、墓場につつじを咲かせてくれた時に、何か私の重荷も降りることだろう。

こういう、生きながらに背負う十字架を放棄出来るならどれだけ幸せなことだろう。

みんなさみしいんだよと言った彼が居る店には、また紛れながらも、言い訳をしながらも。またそこに私も居るのだ。