<旧記事>マミ、えりりん、ヨッキュンの比較

89年には『アイドル伝説えり子』が始まり、翌90年に『アイドル天使ようこそようこ』放送開始。
田村英里子と田中陽子は森沢優と同世代である。

同じ声でクリィミーマミと森沢優、太田貴子の「3役」だった『マミ』と異なり、『えり子』では主人公が歌手と同名の田村えり子(英里子)で、その代わり劇中の声優が矢島晶子で、主題歌歌手と異なっていた。

『ようこ』の場合も同様で、主題歌「陽春(はる)のパッセージ」などは田中陽子が歌ったが、声優は田中陽子でなくかないみか。『きんぎょ注意報!』のわぴこである。
もともと、田中陽子の持ち歌だった「太陽のバースデイ」が劇中の「地球の酸素がなくなる日」でかないみかの歌になることもあった。

アニメ版『ようこ』のサウンドトラックでは主題歌をかないみかが歌ったものもあるらしい。

『マミ』の場合、初期の太田貴子のアルバムと『マミ』のサントラがはっきり区別できず、それが利点でもあり、難点でもあったが、田中陽子の場合、それが鮮明になるという違いがある。

『アイドル伝説えり子』の田村英里子と『アイドル天使ようこそようこ』の田中陽子はともに1973年生まれで、えりりんは89年デビュー、よっきゅんは90年デビューであり、森沢優が魔法を使わずに16歳でデビューしたらこうなったというような話である。
『ようこそようこ』は『幼稚園』と『小学四年生』連載。こうなると、『クリィミーマミ』を魔法少女アニメにする必然性があったのかどうか…。
そして、『魔法のエンジェルスイートミント』の笠原弘子は歌手と声優兼任であった。

『ようこそようこ』でようこの友達・サキの声を担当した林原めぐみが、歌う声優として人気者になったのは、皮肉というべきか、ある意味で『クリーミーマミ』のもたらした成果というべきか…。

田村英里子と田中陽子はメディアミックスとアイドル性では、有利な条件がそろっていたが、それでも89~90年の「イカ天」ブームの時期は、アイドルポップス受難の時期で、大ヒットに恵まれなかった。
田村英里子は早々に日本を抜け出し、田中陽子も『トップスチュワーデス物語』などに出たものの、すぐに引退。
アニメとのタイアップでは先輩の太田貴子も80年代末にはロックやダンス・ミュージックに移って、中村あゆみのようなロック調の歌を歌っていた。

太田貴子とほぼ同世代で、太田貴子より1年後輩の荻野目洋子と長山洋子(84年組)、2年後輩の本田美奈子 (85年組)もロック路線。
太田貴子と同期の83年組で、やはり、声優とアニメ主題歌もやった飯島真理は89年にアメリカに移住。

89年から90年代初めにかけてのアイドルには高岡早紀(72年生まれ、88年デビュー)、高橋由美子(74年生まれ、90年デビュー)、牧瀬里穂(71年生まれ、91年デビュー)、観月ありさ(76年生まれ、91年デビュー)、さらに乙女塾のCoCo(89年デビュー)、ribbon(89年デビュー)、コーヒーのCMから出たLip's(90年デビュー、加藤貴子が所属)もいた。

1989年女優デビュー、翌90年歌手デビューの高橋由美子ことグッピーが「20世紀最後のアイドル」などと呼ばれた。
かろうじて、酒井美紀(78年生まれ)が1993年デビューで、初めは80年代アイドル的だったが、すぐに坂井泉水に近いソフトで中性的な J-Pop 路線に移った。
すでに、森高千里や谷村有美などの出現で、アイドルとニューミュージック、ロックの区別はなくなっていた。

ちなみに97年結成、98年デビューの「モーニング娘。」の初代メンバーのうち、中澤裕子は73年生まれで、森沢優と同い年である。一方、当時のメンバーの中で年下の福田明日香は84年生まれ。マミが優にもどったときは、まだ生まれていなかったことになる。中川翔子は福田明日香より1つ年下になる。

ところで、「モーニング娘。」のデビュー曲「モーニングコーヒー」(つんく♂作詞・作曲)の歌詞で「♪モーニングコーヒー飲もうよ、二人で」が「恥ずかしいことば」とされているが、クリィミーマミのエンディング曲「パジャマのままで」で「♪パジャマのままであなたとモーニングコーヒー飲みたい」も、結構、「恥ずかしい」歌に聴こえたものだ。