クリィミーマミについて

『魔法の天使クリーミーマミ』では、83年~84年当時、10歳~11歳の少女だった森沢優は魔法で外見上、16~17歳になってクリィミーマミとして歌手デビューし、83年7月1日から84年6月30日(29日か)まで1年間、藝能活動した。

女子高生の年齢の少女が歌うことを前提にした恋歌の歌詞で、英語や漢字など、小学生だった優には難しかったのではあるまいか。

また、マミはステージ上でスモークに隠れて森沢優にもどり、優の姿でも歌ったことがある。
歌唱力は変身後と変身前で変わっていない。魔法は歌声に関与していなかった模様で、10歳の姿のまま小学生少女歌手として活動してもよかった。

クリィミーマミが使った魔法はもっぱら身体を大きくすることくらいで、ほかは落下傘代わり、または魔力のかかった指輪をはずす程度。
マミは個人情報を秘密にし、仕事でも遅刻が多かったようだが、例えば『魔女っ子メグちゃん』にあったような周りの人間の記憶を操作することはやっていないようで、またリミットちゃんのミラクルランやエスパー魔美のテレポートのような移動時間短縮もやっていない。
魔法の使い道としては地味である。

クリィミーマミこと森沢優はステージで生で歌いながら涙を流しても、声は断じて涙声にならないという、すさまじいプロ根性の持ち主であった。10歳でこの境地に達したとは、驚くべき天才少女歌手である。

OVA『カーテンコール』(86年)で綾瀬めぐみ(声;島津冴子)とクリィミーマミ(途中から森沢優、声;太田貴子)のデュエットで「MA・WA・LE・MI・GI」が披露された。
バックバンドはなんと森沢優のいつもの仲間たち。彼らが優と同世代とすると1980年代半ばで10歳前後、これでプロ並みの演奏ができるとは、いつ練習したのか。1986年からは中学校に通っていただろうが、すぐにプロのミュージシャンとしてレコ社に就職できただろう。

森沢優は73年生まれで、野球のイチローと同世代。
83年から6年待って、森沢優が16歳となった1989年ごろに正式にデビューしてもよかった。この場合、乙女塾1期生と同期になるし、田村英里子も73年生まれの89年デビュー。田中陽子は73年生まれの90年デビューであった。

しかし、80年代も後半にさしかかるとロックブーム、バンドブームで、当の太田貴子もロック路線に移っていた。後輩の荻野目洋子(84年組)、本田美奈子(85年組)しかり。
89年は、あの「いかすバンド天国」が始まった年である。

こうなると森沢優が80年代前半のアイドルブームの時期にデビューしたのはよかったかも知れない。

80年代のJ-Popにおいて83年デビュー組は「小粒」、あるいは「1年先輩の82年組の壁に阻まれた」という評価がもっぱらだが、必ずしもそうではない。太田貴子、飯島真理、チェッカーズも83組である。ただ、事実上、84年組のように扱われているだけの話だ。
太田貴子が『レッツゴーヤング』で84年からサンデーズに参加していたのが象徴的である。
ザ・グッバイも83年組。また、あの尾崎豊も83年デビューであった。