水島は梶原への対抗か梶原の継承か 2007/ 3/31 22:14 [ No.94 / 434 ]

「ドカベン」の場合、確かに野球漫画としては本格的ですが、柔道から野球に移ったせいか、当初は「学園コミックス」という分類でした。
学園ものとして見ると、「吉良高校」や「弁慶高校」など、現実離れしています。もちろん、日本の漫画に出てくる「高校生」は大体、「大人びて」います。

日本の野球漫画は初期の「黒い秘密兵器」辺りが最も荒唐無稽で、「巨人の星」はあれでも現実的になった方です。

日本は野球の原産国ではないので、野球を漫画で描く場合、いきなり普通の野球を描いても受け入れられないという判断があったのでしょう。

だから、まず、作者は「投手と打者の対決」に焦点を当てて、日本人にわかりやすい「忍者」や「侍」同士の一騎打ち、あるいは柔道や剣道、空手などの戦いをボールとバットに置き換えた世界を描くことから始めたのでしょう。
それで野球が浸透したあとで、水島新司やちばあきおが出てきたということになります。

そうなると水島漫画は梶原一騎へのカウンターのつもりで、梶原路線の延長でもあります。

水島漫画でも50歳、60歳近く、80歳以上の現役野球選手が出てきて、作者当人も現実の野球界の話に漫画を持ち込む辺り、相当、自由奔放です。

また、梶原作品でも飛雄馬の年齢、高校に入学した年、最後の試合の描写や「左腕の破壊」などで前後に多少の矛盾がありますが、時間の流れに関しては水島作品の方が「ぶっ飛んで」います。
豊福きこう氏のように野球漫画で年表を作ろうとした場合、そこが大問題になります。

番場蛮は'70年に巨人に入って'74年に19歳で「殉職」し、'91年の続編では甥が登場しました。
しかし山田、岩鬼、里中、殿馬らは明訓入学が'74年の長嶋引退直前で、「大甲子園」では'80年代半ばで、プロ入りが'94年ということになります。

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