1989年から続くイカ天出身のバンド、乙女塾、さらにWinkに代表される洋楽カバー、小田和正やチャゲ&飛鳥によるドラマとのタイアップが90年代初めまで続いた。
丁度、80年代を代表する歌手の多くが82年以降にデビューしたように、90年代においても初めの2年間は80年代末のイカ天や乙女塾系列の歌手が中心で、92年になってから、のちに90年代J-Popを支えることになる歌手が、続々とデビューしたわけである。

また、シンガーソングライターやバンド・ミュージシャンが決まったアイドル歌手に曲を提供する形が80年代から目立っていたが、90年代にはこれがグループとして一体化するようになった。

作詞、作曲、演奏を担当する男のミュージシャン1~2名とヴォーカルを担当する女のコの歌手1名という2~3人のコンパクトなバンドが90年代に増えた。
これは、80年代に徐々に増えたアイドル歌手のバンド結成の流れによるものだろう。

これも原型は80年代のサザンオールスターズにおける原由子のヴォーカル、さらに、当時、メンバーだった大森隆志が86年に結成したターボーズ・プロジェクトなどであろう。
アイドル歌手がバンドを結成する形も83年に野村義男と曽我泰久がザ・グッバイでやっている。

この90年代型の「ミュージシャン兼プロデューサーとヴォーカル」によるユニットは、80年代に一部の音楽ファンが宗教のように信仰していた「アイドルとアーティスト」の区別を完全に無意味にした。

また、米米クラブや trfにより、ダンサーまでグループのメンバーになったのは、音楽のビジュアル化の表れだ。

90年代は沖縄の音楽、沖縄出身歌手が注目された時期でもあった。

なお、元「モーニング娘。」の中澤裕子は73年生まれで、乙女塾第1期生とほぼ同い年である。
すなわち、CoCo、ribbonと同世代であり、ほかに乙女塾以外では田村英里子、田中陽子も73年生まれ。
89年から90年代初めのアイドル冬の時代にデビューした乙女塾、田村英里子、田中陽子は時代の影響を受けた格好になったが、90年代半ばも過ぎるとその冬も終わり、「モー娘。」という形でアイドルが受け入れられるようになった。いわば、中澤裕子は冬が過ぎた時期にうまくデビューし、スターになりえたと言える。
73年生まれで83年にデビューした森沢優=クリィミーマミの設定と逆であった。
また、アイドルかどうかは別にして、95年デビューの岡本真夜も74年生まれで、ほぼ同世代。

「モーニングコーヒー」でデビューしたころの「モーニング娘。」を今観ると、「いかにも90年代」という気がするだろうが、当時としては、「80年代風のアイドルの復古」のように見えたし、89年の乙女塾に近かった。
ちなみに、「モーニング娘。」が「モーニングコーヒー」を出したとき、私はLip'sの「愛の魔力」のようなコーヒーの会社とのタイアップかと想ったが、「モー娘。」の場合、そうではなかったようだ。

90年デビューのLip'sは歌唱力も充分で、デビュー曲『愛の魔力』も名曲であり、もし、今、誰か新人歌手がカバーしてドラマやCMとタイアップしたらヒットしたかも知れない。c/wの『ハートブレイクで逢いましょう』もおすすめの曲だ。本当に89年~90年ごろの「アイドル冬の時代」にデビューした歌手は不幸であった。