姪っ子の運動会 | 吟遊詩人

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熊本活性化への唄

昨日、実家に帰り、姪っ子の運動会に行ってきました。


午前中は雨だったのですが子供達にはあまり関係ないみたいで元気いっぱい。


たくさんの子供達に囲まれ一生懸命な表情、素敵な笑顔でとても癒されてきました。


俺は今でも自分はまだまだガキだな、とか、大人になったら、とか、大人は嫌いだ、とか言います。そのたびに周りからもう十分大人ですよ、とつっこみが入ります。

でも、大人ってなんでしょう。

年齢?成人式?


俺が見てきた大人達は『こんな大人にはなりたくないな』という悪い見本となってる人がほとんど。


吉井和哉の歌詞にもあります。

子供達からもらうものにはいろんな意味がある。それを知らずに生きてるうちはまだ子供なんだね。


深いですねぇ。


なので俺はまだまだ子供。昨日も小学生達といっぱいはしゃいできました
( ̄∇+ ̄)vキラーン


ビジネスという世界に身を置いて、人間関係や金や権力ばっかりの世界にいると子供達と戯れる時間が凄く貴重に思えます。

世界の宝とも言える子供達の笑顔。


今みたいな暗い世の中でこの笑顔だけは守らないかん!それが使命だ!
なんて思ったりもします。


いつも子供達と遊ぶと、忘れてたものを思い出させてくれます。


ただ、甘えたいだけ、ただ楽しみたいだけ、ただ一緒にいたいだけ、子供はそういう素直な気持ちを持ってます。

それを隠してしまうようになったのは大人が原因。


何も意識せず手を握ってきます。何も意識せず寄り添ってきます。


それが子供達の素直な気持ちの表れ。

それを大人がどんどん閉ざしていくんです。


最近の子供は理解できない、こんな言葉を大人が言うな。


若年性の犯罪者が増えたのは大人のせいです。


守りすぎず、攻めすぎず、与えすぎず、奪いすぎず。


子供達には大きな可能性がたくさんつまってます。


そしてそれが二本という国を支える柱になる。

それを守る屋根、今、現在の柱、そしてそれを支える土台、これがバランスがとれて成り立つもの。


本当の意味で見守りたいですよね。


最近のモンスターなんとかとか、虐待とか、信じられません。


大人はもっと子供達と触れ合うべきです。


そうすると子供だけが持ってる『本当の意味の扉』の鍵を手に入れる事ができるはず。