想定外こそ想像の範囲 | 暗がりの中、ひとり祝杯を。

想定外こそ想像の範囲

それは、こーちゃさん、フィルヴィスさんと過ごした後のことです。

バビヤールさん、もんぷティさんと共に喫茶店で対談中、股ぐらへ飲みかけた「ミルクイン・ノンシロップのアイスコーヒー」をこぼした紫苑です。こんばんは。しかし…意外な事に被害の幅は狭く、鞄に入った「ネット利用料2か月分の振込用紙」、テーブルに置いていた「勤続1年を越す携帯電話」、さらには直撃を受けたズボン左ポケットに内包していた「HDDプレイヤーwithイヤホン」…etc,

こいつらみんな無事でした。

最も、自宅に帰るまで、香ばしきコーヒーの怨霊と格闘せざるを得なかった件については、申し上げるまでもございません。お疲れの所にも関わらず、同じ車両にて時を過ごした周囲の方々は、さぞや迷惑だったことでしょう。

さて、斎戒沐浴を済ませたところで、シャーマン稼業をやめて、本題へ移る事にしましょう。今日のお話は、会談でも一時ネタとなりました「日記執筆とコメント」の件でございます。ちなみに、今回ネタにした件は、本日の会談以前に、アサギリさんからも教授を受けた事があります。

稚拙ながらもウェブ上で情報発信するようになり、今年で3年目を迎える私自身、最近になってようやく気づいた事なのですが…それは「自分で日記を1000字執筆するよりも、誰かのコトバへ100字コメントする方が至難を極める」ということです。さらに、ここで言う「コトバ」とは、自分の日記に頂いたコメントへレスする事を含みます。

コメントする事が難しい理由としては「相手との対話を必要とする」…これが第一であると考えられます。

卑近ながら、私を例に申し上げます。

私の日記ですが、大抵は次のような流れを意識しています。

まずは「執筆の本題(ネタ)」を1つだけ取り上げます。次に、私の起こした行動(意見)と挨拶から成る「マエセツ」を置きます。そして、「本題明示(ネタばらし)」の後、それに従い「詳説(本文)」を展開します。最後に、日記の終了意思を表示すべく「シメ」の文章を書いて終わりです。補足などが必要であれば「あとがき」として、追伸などを明記し、アップロード後に「推敲(見直し)」をする…骨組みだけバラせば、これが私の執筆システムの根幹です。

ネタにもよりますが、ある程度纏まった時間さえあれば、そこそこ納得のいく文章にはなります。

ただし、誰かの文章にコメントする…この場合は先に挙げた「執筆フォーム」が、まるで使い物になりません。毎度毎度のコメントを、ことごとくこんなスタイルで書かれても、日記を書いた側は「テンプレ返信されても面白くないわい」と考える事は間違いないでしょうから。

もちろん、時間を掛けた思考を経る事無く、コメントが自然に出る場合もあります。しかし「これを書けばどう考えるか?」「日記を読んだ上でのコトバになっているか?」「まるで関係のない話題で返していないか?」…など、時に考えるべき事は際限なく出てきます。また、読者自身が不得手な話題だったり、何らかの信条に触れる可能性のある件など、何分掛けようがコメントしたくてもできない、という状況も生まれます。

いくらblog慣れしていようと、読んだ文章全部に的確なコメントを残せる方なんて存在しないのです。それは、他のblogを読んで頂ければ、すぐに共感いただけるかと思います。第一、読んだならコメントのひとつくらいくれよ、なんて強要されたら、読者としてはたまったもんじゃありません。

「俺は書ける時(もしくは書くべき時)に書き、読みたい時に読む。だけど、俺もblogとして日記を公開する以上、誰かの反応は欲しい。それも、どうせならケチつけられるよか、共感的なコメントがいいに決まってる」

そう考えるのが自然だと思います。

少なくとも、私はそうです。

極めるには、遠すぎる道のようです。