~昭和の大地震~ 伊豆半島付近で起きた二つの地震 | mijiocyanのブログ

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狭心症・潰瘍性大腸炎・椎間板ヘルニア・花粉症のおやじが、病気の経過を備忘録的に書いてます。また、気になるテーマのニュースに自分勝手なコメントをしてます。きままに好き勝手に書いてます。よろしかったらお立ち寄りください。


今日の腸子

昨日のイライラは解消しました。
おかげで、お腹はいつもの腸子に戻りましたニコニコ

でも、「ガス」は相変わらず作り続けております。
トイレへ行っても、まず「ガス」が5~10秒近く出続けます。(よく出るもんだDASH!



~昭和の大地震~ 伊豆半島付近で起きた二つの地震


「伊豆半島沖地震」

1974年(昭和49)5月9日、伊豆半島南端を震源とするM6.9の地震が発生した。

この地震は「伊豆半島沖地震」と命名されましたが、その後の調査で震源は伊豆半島南端の内陸部であることがわかり、石廊崎断層の活動によって起こった、内陸直下型地震でした。


石廊崎断層の空中写真 
mijiocyanのブログ-石廊崎断層空中写真

石廊崎断層は、この地震の前年に空中写真によって顕著な活断層であることが指摘されていました。
したがって伊豆半島沖地震は、既知の活断層が動いて地震を引き起こした、日本で最初の事例となりました。


地震による被害は、ほとんどが山崩れ、崖崩れなどの土砂災害で、家屋全壊134戸、焼失家屋5戸、死者30人となっています。


伊豆半島地震による崖崩れ 
mijiocyanのブログ-伊豆半島地震1

被害は、南伊豆町の入間地区と中木地区に集中し,中木地区では斜面の崩壊により家屋16戸が埋没、27人の死者がでました。

石廊崎から松崎までの西海岸では、無数の斜面崩壊が発生し、道路も寸断されました。


「伊豆大島近海地震」


1978年(昭和53)1月14日、伊豆大島と伊豆半島間の海底を震源とするM7.0の地震が発生。
伊豆半島東部から中部にかけて被害が集中しました。

この地震による死者は25人、全壊家屋96戸、崖崩れ191カ所を数えました。
断層が直下で活動した東伊豆町の稲取では、震度6相当の揺れを感じましたが、建物の倒壊はほとんどありませんでした。


1974年の「伊豆半島沖地震」と同様に、被害の大半は「斜面の崩壊」でした。崩壊した土砂により海岸、谷間にある集落の一部が埋没したり、道路が寸断されたりするなど大きな被害がでました。


伊豆大島近海地震 
「島村英紀が撮っていた歴史的な写真・その2・1970年代半ば以降」  より

mijiocyanのブログ-伊豆大島近海地震1

mijiocyanのブログ-伊豆大島近海地震2

伊豆半島は、地形的に急峻な斜面が多く、風化の進んだ古い火山の噴出物が多く不安定な地形・地質であるため、地震、豪雨などで斜面崩壊を起こしやすい状態なのです。

そんな不安定な場所に、近年の開発により新しい道路や鉄道が作られてきました。斜面を削り、急勾配の人工斜面を作ることによって、結果的に危険を増幅させることになりました。

地域開発を優先させたがため起こった、地震の二次的災害は、言い換えれば「人災」的要素の強いものでした。


この伊豆大島近海地震では例のない事象が発生しました。

天城湯ヶ島町にある中外鉱業持越鉱山の鉱滓(こうさい-溶鉱炉などで溶錬する際に生じる非金属性の不純物などの総称)堆積場で、液状化が起こり、堰堤(えんてい-小規模な堤防のこと)を破壊し、猛毒のシアン化ナトリウムを含む10万トンあまりの鉱滓が流失しました。

毒を含んだ水が狩野川に流れ込み、駿河湾へ流失。川と海を汚染し、多数の魚介類が死滅するという二次的被害を発生させたのです。




地震が発生すると、いままでに想定していなかった被害、災害が発生するということを、この地震は教えてくれたのです。



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