前期旧石器時代①西のハンドアックス東のチョッパー | 縄文家族|天竜楽市

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旧石器時代というのは縄文時代より前の時代です。

教科書にも殆ど載っておらず、日本人の多くが旧石器時代について知りません。

旧石器時代の研究はヨーロッパを中心に行われ、アジアではまだこれから知見が増えてくるだろう、という学問です。

人類アフリカ起源説などもアジアの研究を抜きに考えられてきた部分もあります。

縄文時代以上に謎のヴェールに包まれた旧石器時代について、これまでの研究の経緯なども説明しながら、縄文時代の前史として、軽く触れていきたいと思います。

(•ө•)♡

今から250万年前、人類(ヒト属=ホモ属)で最初に加工した石器を使用したのは原人ホモ・ハビリスとされていました。

それ以前の猿人は、未加工の自然石を利用したと考えられていましたが…

然し、エチオピアで発見された猿人アウストラロピテクス・ガルヒの化石の近くから僅かに加工した石器が見つかり、猿人段階で石器が使用されていた可能性もあるようです。

何れにしても、250万年前頃にアフリカで登場したオルドワン【Oldowan】石器は刃部のみを加工した単純な礫器と石核、剥片からなる石器群(とはいえ、それなりの加工技術を要する)でしたが、250万年前に始まり、2万年前まで使用されています。

※礫(拳大程度の石)に打撃を加え剥がれた欠片を剥片【flake】、欠片が剥がされた石を石核【core】という。

オルドワン石器は比較的小さな礫から鋭い縁を持った剥片が剥がされ(剥片石器)、道具として利用しました。

また、石核を打ち欠いて片側に刃をつけたチョッパー、
両面を交互に打ち欠きジグザグに刃をつけたチョッピング・トゥールが使用されています。

その後、176万年前になると、刃渡りの長い大型の石器が登場し、アフリカでアシュール文化【Acheulean】が始まります。

この石器は、大きめの礫から、10~30センチの巨大な剥片を剥がし、更なる剥離加工によって鋭い刃部を作り、剥片全体に渡り両面を丁寧に整形し涙敵形に仕上げたハンドアックスに代表されます。

140万年前には、石よりも加工が難しい骨製ハンドアックスも作られ、アフリカでは複雑かつ高度な加工技術が確立されていきました。

アシュール文化は、ホモ・エレクトゥス(旧名ピテカントロプス・エレクトゥス)が担い手の中心と考えられ、オルドワン石器含む原人段階の時代区分を一般に前期旧石器時代(250万年前~30万年前)と言います。

※アジアでは北京原人、ジャワ原人がホモ・エレクトゥスとされるが、彼らはアシュール石器の担い手では無いと考えられている。

ネアンデルタール人など、所謂旧人段階になると、中期旧石器時代(30~4万年前)として区分し、この時期になると、アフリカでは、より複雑で高度なルヴァロア技法が登場しました。

(˶˙º̬˙˶)*॰

このように初期人類の技術革新は、アフリカで始まったと考えられてきました。

最初の人類の出アフリカ(ユーラシア大陸への拡散)は180~200万年前頃とされています。

グルジアのドマニシ人は180万年前とされ、オルドワン石器を利用していました。

また、雲南省楚雄彝族自治州元謀県で発見された元謀原人は170万年前と推定され、同じ雲南省のワ族自治県から前期旧石器時代早期の石器が発見されたことから、オルドワン石器を使用する初期の人類がこの時期にアジアへ進出していたことが確実になっています。

なお、バルカン半島以西のヨーロッパへの人類進出は90万年前以降と考えられているようです。

(˶˙º̬˙˶)*॰

一方、アフリカやヨーロッパ、西アジアではアシュール文化のハンドアックスが普及し、更にルヴァロア技法のような複雑な技法も駆使されるようになりましたが、

ハラム・モビウスが1948年に提唱したモビウスライン【Movius line】の東側では、前期旧石器時代初期のオルドワン石器から進化の乏しいチョッパー、チョッピング・トゥールが2万年前まで使われ続けており、東アジア(東洋)は、永らく文化的に遅れていた世界とされてきました。

現代人であるクロマニョン人の研究がヨーロッパ中心に進められたこともあり、後期旧石器時代(4万年前頃~)のオーリャニック文化はヨーロッパから始まったと考えられていたのです。

( ・ิϖ・ิ)っ

然し、16世紀に東洋を訪れた南蛮人は、明や日本の技術力が高く文化度も欧州と比べ物にならないほど高い事実を知っていました。

当時の日本人が南蛮人を蔑視したのは、日本人が箸を使って食事をしていたのに対し、彼らは手づかみで食べていたことも理由の一つにあったようです。逆に彼らは日本人が庶民階級でも読み書きが出来、教養を身につけた人が多いことに驚愕していました。

彼らは東洋に憧れや畏怖を感じていましたが、西洋の技術水準が清や日本を上回るようになると、途端に東洋を見下すようになります。

戦後、日本にも東洋を未開とした欧米の史観が持ち込まれ、日本は永らく自虐史観に苛まれることになりました。

大航海時代に先駆けて、明は鄭和に命じ永楽三年(1405)に、「下西洋(西洋に下る)」と称して、

全長131mの巨大艦船62隻、乗組員総勢27800名からなる大船団を出航させます。

※当時のヨーロッパにこのような巨大船は無かったとされる。

永楽十一年(1413)の第4次航海では本隊がペルシア湾のホルムズ、分隊はモルディブ、ケニア、アラビア半島南岸の港湾都市に帰港しています。

鄭和の大船団は友好平和的な外交通商を目的としていましたが、到着した現地で戦闘を仕掛けられた際には軍事行動を行って現地勢力を鎮圧しています。

ヨーロッパを蹂躙した大元ウルス同様に西洋を制圧するだけの国力を明は有していましたが、精神文化の高い東洋人は、そのような野蛮な行為をしなかったのです。

一方、明の海軍力をもってしても、倭寇を鎮圧する事は出来ず、やがて明は海禁政策へと転換していきます。

日本の水軍が世界最強だったわけです🤔

その後、16世紀における世界最大の戦いは豊臣秀吉の明への出兵です。

明は朝鮮と連合して戦いましたが、太閤が亡くなるまで勝てる気がしなかったと「明史」に記されています。

欧米人はこうした歴史的経緯から、
「漢民族は他国に侵略することはない」
「日本人は度々他国に侵略し、非常に手強い」
というイメージを抱いています。

(´-ω-`)
話が脱線しましたが、西洋の野蛮に比べれば日本の侵略など可愛いものです。

フンやアヴァール、モンゴルといったアジアの騎馬民族に相次いで蹂躙され、暗黒の中世を過ごしたヨーロッパでは、アジアへのコンプレックスが高まり、こうしたコンプレックスはやがて、東洋を未開で野蛮とする蔑視に繋がっていきます。

中国が、かつては尊敬していた東夷族に何度も征服され、やがて東夷族を未開で野蛮と蔑視するように至る経緯と全く同じです。

(。ì _ í。)

私達、日本人は、東夷の王「天帝」のいる国として、永らく世界に君臨し、尊敬を集めてきました。

中華や西洋にコンプレックスを抱く必要は微塵もありません。

もう少し歴史的事実を学んで自国に誇りを持つと良いでしょう。

(˶˙º̬˙˶)*॰

以上のような経緯と、戦後処理の関係から、

「文明は西から来た」と、

戦後教育されるようになりましたが、

誤りです。

歴史というのは時代や政治によるバイアスを時系列に従って取り除いていかないと、確かな事は明らかになりません。

文化は西から東へ来るものもあれば、東から西へ伝わるものもあります。

西から東へ来る人がいるのであれば、東の人は必ず西を訪れ返礼しました。東の人々は一般庶民であっても古くから礼節をわきまえていたからです。

古くから人々の通行は一方通行ではありませんでした。

( ・ิϖ・ิ)っ

さて、モビウスラインについては、東洋から反論が出ています。

有名なのは、竹を利器として使い石器を重視しなかったからでは無いか、という「竹文化説」

中国は殆ど良質の石器材料に乏しいので、竹や木を積極的に利用した可能性はあるとは思います。

最近になって、マレーシアのブーキット・ブヌ遺跡(183万年前)から粗雑な初期のハンドアックスが発見され、同時期に前期アシュール文化が伝わっていた可能性が示唆されました。

(˶˙º̬˙˶)*॰
「えーと、アフリカは176万年前、マレーシアは183年前ね、φ(・ω・`)メモメモ」

21世紀になり、モビウスラインの東から続々と旧石器が発見されるようになります。

19世紀から20世紀にかけて、アヘン戦争以降の東洋は西洋の恣【ほしいまま】に略奪蹂躙され、考古学への取り組みも遅れていましたが、中国や東南アジアの経済発展により、近年東洋での重要な発見が続いています。

つい最近も、チベットで13万年前の後期アシュール石器が大量に発見されたと話題になりました。

( ・ิϖ・ิ)っ

一応、人類アフリカ起源説を基に話をしていますが、

中国が言うようにアジア起源も考えられないわけではなくなってきました。

アフリカは古人骨が残りやすいため、たまたまアジアからアフリカへ行った人の骨が残り、アジアでは残らなかった可能性もあるでしょう。

アジアに旧人はいないとされてきましたが、

デニソワ人の発見と太平洋の人々がデニソワ人由来の遺伝子を多く保持している事実が明らかになり、

また、出アフリカのクロマニョンによる文化と思われていたものが、ネアンデルタール由来とされるようになったケースも増えてきました。

アフリカ起源説の信頼性は、一時期程では無くなっているのです。

( ・ิϖ・ิ)っ
オーリャニック文化も中東のレバント起源が有力となり、

現生人類的という石刃技法もレバントからコーカサス地方を経て、ユーラシアステップを通じて東へ伝播したと考えられるようになってきました。

日本で最初に旧石器が発見されたのが1946年ですから、1948年のモビウスライン発表時には東洋の後期旧石器は殆ど知られていなかったと思われます。

また、世界最古級の磨製石器である日本列島38000年前の局部磨製石斧は、アジア在来の(モビウスが稚拙と判断した)石器技法から生まれたことも明らかになってきました。

そしてレバントオーリャニック文化の石刃技法は、36500年前には長野県に伝わっていたことが確実になったのです。

モビウスラインは否定されましたが、

西洋の石の文化と、
東洋の木の文化

というのは、モビウスラインが示したように早くから分かれていた可能性があります。

(´-ω-`)

日本人とは何か?

を、知る上で、

東洋人であること

を、忘れてはいけません。

( •́ㅿ•̀。 )

残念ながら、

中国嫌い
韓国もっと嫌い
モンゴル知らない

という人、

日本人は東洋人と違う‼ユダヤと同祖なのだ٩(°̀ᗝ°́)و

という憐れな人々に共通するのは、

戦後、米軍によって押し付けられた

東洋人蔑視の自虐史観に見事にハマっている、ということです。

(。-_-。)

大東亜戦争は、
日韓同祖、
倭漢満蒙鮮五族融和
をスローガンにしていましたが、

ネトウヨが言う中国嫌い韓国もっと嫌いは、

大東亜戦争の否定に繋がります。

歴史を知らないというのは、

恐ろしいのです😱

(˶˙º̬˙˶)*॰

前期旧石器時代に関するトピックとしては、

旧石器捏造事件というのがありました。

日本では今のところ、前期旧石器時代の遺物は見つかっておりません。

日本列島に存在する人類の遺跡は、60箇所ある中期旧石器時代からとなります。

然し、捏造事件の影響からか、或いは別の政治的配慮があるのか、分かりませんが、

60箇所の中期旧石器時代遺跡を無視する考古学者がいます。

(/ω\)
素人の私達さえ知っている事実を、

専門家である(一部の)考古学者が知らないフリする、という態度は如何なものでしょう❓

日本の考古学というのは、中央の偉い先生の言うことは鵜呑みにせず、

地方の研究者の様々な意見を聞いて回らなければ事実が全く見えてきません。

高名な先生の中には1948年のモビウスラインで止まったままの人もいます。

戦後教育の原点に固執しているのでしょうか❓

地方にいる在野の研究者からは、

「そろそろ、本当の事を言うべきだ」という声が聞こえてきます。

然し、立場上、上から止められていて言えないことが多いと聞いています。

(´-ω-`)

表には出ていない事実も多くありますが、

現在、公に発表されている研究成果(然し、教科書には載せられない)だけでも、

日本人が自虐史観から決定的に抜け出せる資料が揃っています。

広く知られていないだけなのです。