天竜の山暮らし いつの時代も山には未来と可能性がある | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️

 三年前のことです。 

 この縄文人が暮していた標高600メートルの山上集落で作られた天竜茶が 全国茶品評会 煎茶4kg部門で一等一席、農林水産大臣賞に輝きました。

 縄文から連綿と続く集落ですが、幾度か廃れた時期もあったと云います… 鄙びた山間集落としてひっそり細々と暮していた時代もあれば、最盛期には秋葉詣での旅人が日に千人ほど通ったという古道は今も東海自然歩道として遺され、天竜材が飛ぶように売れて集落が活気づいた時代もありました。  

 明治の初め、二俣には紅茶製法伝習所(県内では丸子、二俣の二ヶ所)が置かれ天竜の山間部で作られた紅茶は米英に輸出され、茶業が県の特産品となる礎を築きました。  

 阿多古川流域の山間地域では、紙漉き、タバコ葉の生産、養蚕、水力を利用した木製工作機械の製造など、時代によって様々な経済活動が活発に行なわれてきました。 林業全盛期には片手間仕事となっていた茶業ですが、平成の初め頃から天竜茶振興の流れが起き、ここ十年程で大きな成果が出て来ています。 

 移り変わる時代の中で、太古の昔から浮き沈みはあったものの…その土地に根付き、様々な方法で糧を得て人々は暮してきたのです。 

 山の中の小さな集落で作られた天竜茶が得た「日本一」の称号… 山には、そこに人が住めば何かを産み出せる豊かな環境と資源があります。 

 いつか再び山の時代が来る…それはもう遠い未来のことではないかもしれません。

 都市部で暮していても、特に若い世代の賃金は上がらず労働環境も過酷になりつつあります。
 時代の移り変わりに個人で贖うのは容易なことではなく、土地への縛りがなくなった近代以降、日本人は常に新天地を求めてきました。


 これから日本は急速な人口減少時代を迎えます。都市部に人口を集中させた方が良いとの意見もありますが、農は国家の基本です。
 寧ろ、豊かな森林資源を活かし、広い国土に分散して住み、一人でも多くの人が災害時や有事でも自給自足で暮していけるように中山間地域の人口を積極的に増やした方が良いのではないでしょうか?


 津波、洪水…平野部は大規模災害に対して脆弱です。地震、噴火などの自然災害の多い日本では、一つの地域に集中せず分散して住み、有事には地域間が助け合うことで永い歴史を築いてきました。


 縄文から連綿と続くような集落は、自然災害の影響を受けにくい地域に作られています。大東亜戦争時には、多くの人がこうした地域に疎開して生き延びましたが、近い将来、南海トラフ地震や富士山噴火も予想される日本で、インフラを平野部に集中させれば、果たして逃げる場所はあるでしょうか?

 

 世は「縄文ブーム」とも云われます。
 近年は…森と共生し、一万年以上に亘って争いのない文明を築き繁栄したという新しい「縄文人像」が伝えられ、そうした暮らしへの憧れも広まってきたような感もあります。


 山に暮らし、自然と親しみ、仲間と協力しながら気ままに生きる。それもまた豊かなライフスタイルの一つなのでしょう。

 

 

 

 

via 天竜楽市
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