はじめまして、基本人格のひろみと申します。

これから書くことは
一部の方に取っては衝撃的な内容であり
気分が悪くなってしまったり
落ち着いていた病態が不安定になるかもしれません
これは私の吐き出しと、こんなことがありましたという事実を
ただ書き残してみるのもいいんじゃないかと思い
書いてみたものです

今現在、似たような状態で苦しんでる人が少しでも救われてほしい気持ちもあります

死ぬことも生きることもつらくなってしまっている誰かへ


○生い立ち○

私は産まれながらにして、あまり望まれた子ではありませんでした。
何故なら、両親が駆け落ちをしてできた子供だったからです。
父方の祖父は会社を経営していて、父があとを継ぐものだと祖父は考えていたようです。ですが父はそれを拒み、拒ませているのは母のせいだと祖父は責め立てました…。
父との身分も違いすぎると、祖父は母に言ったそうです。

話し合う事もできず、勝手に家を飛び出し子を作り、せめて男の子なら祖父に許してもらえるのではないかと両親は思っていたようです。
しかし産まれてきたのは女の子。私は歓迎されませんでした。
唯一歓迎してくれたのが、母方の祖父で私はすごく懐いていました。

私が両親と父方の祖父から望まれていなかったんだと知るのは、2年後に弟が産まれたときでした。
両親はとても喜んでいて、父方の祖父も顔をみせてくれていたようです。
両親も父方の祖父も私に関心がなくなったのか、私は母方の祖父母の家に預けられる日が増えていきました。

あとから散々母親にせめまれるときに言われた言葉
『どうしてお前が病気じゃなくて、あの子が辛い思いをしているの』
『どうしてお前は女の子なの』
なにかあるとすぐ、泣きながらそんなことを言ってきていました。

弟は産まれながらにして、体の一部が腐っていたらしく大手術をしたそうです。

弟が回復して一緒に生活ができるまで、私はもう祖父母と暮らすようになっていました。
祖父はとても可愛がってくれていたし、祖父母の家から保育園も近かったため、不便はありませんでした。

次第に弟が回復して、家族4人で一緒に生活が出来るようになる頃には、親からの愛情というものがわからなくなっていました。
食卓を囲んでいる中で、私だけが歪な存在だと思うようになりました…。
それが改善されることはなく、大人になり年に数えるほどですが、食卓を囲んでみても自分の存在が歪だと感じることは変わりませんでした。

○学生時代○
2度引っ越しをしたのですが、その間に性的な被害に合うことが何度かありました。
当然誰にも言えません。親に言えば怒られる。
性的な被害よりも、親に怒られることのほうが怖いという思いが強くなっていました。
その頃からか、こうくんやめいちゃん、食事時にはみゃあちゃんの声が聞こえることに気づきはじめました。

親に怒られるたび、何処か遠くへ行きたい。消えてしまいたいとぼーっと虚ろだったことを覚えています。キーンと強い音で耳鳴りが鳴り止まず、怒っている父の声は聞こえていませんでした。

その頃から、気がつくと朝になっていることが多くなり始めました。

日にちを確認して、学校へ。
まるでタイムスリップでもしているかのような感覚でした。

ある日気がつくと目の前で母が泣いていました。

『どうしてこんなことをするの?お母さんが悪いの?』

手にはカッターナイフ、傷だらけの腕からはもう血液はかたまっていて、一部はぷにぷにしていました。

あぁ、これは父親に怒られる。

その事で頭がいっぱいになると、また耳鳴りで何も聞えなくなっていました。そして気がつくと朝になっている。
そんな状態が繰り返されて疲れてきだした頃

唯一、変わらず可愛がってくれていた母方の祖父が…私が小3の時に亡くなってしまいました。

もういい。もう、この世界にはもう居場所がない。

はじめは死のうと思っていました。

それでも、耳鳴りがした後に気づいたときには、2度目の引っ越しでした

転校もしていて、友達もいたようです

落ち着いたかと思いきやイジメや変質者が現れました。

もういいと疲れている時に、またリストカット激怒する父、私が悪いのと泣く母親
もう限界でした
すると『もう頑張らなくていい』と声がしたかと思えば
スッとビジョンが変わりました。
まるで映画をみているかのような感覚、空間。

そこからはもうぼんやり画面を眺めていました。

私はもう疲れた。ごめんなさい。
もしこの体を使いたいのなら好きに使ってと
私はもうただ眺めている存在でいたい。

そこからはもう眺めるだけの存在になりました。

酷いこと、嬉しいこと、悲しいこと、楽しいこと

見たいときは見て、見たくない時は少し伏せながら見て
私の体だけれど、もう私の体じゃない。

今もこれからも
そんなふうに過ごしていくと思います。

前の旦那のDVのときは流石に酷すぎて、どうにかならないかと動いてもみたけれど。

今はもう離婚して、新しいパートナーは理解があってコーヒーが好きなようだし
増えだした他の人格も落ち着いているようだし
このまま落ち着いて、たまにコーヒーでも飲みながら、ゆっくり本でも読めれば…私はそれでいい。


幼い頃から虐待をうけ
性的な被害にもあってしまい
誰にも助けを求められない

なんとか生き抜いても

希望は全くなかった

それでもただ生きていれば

どこかの時点で救われる

自分が変わろうと思える日がくるかもしれない

救って欲しいと言えなかったことが
言える日がくるかもしれない

可能性は0じゃない

きっと誰かが手を差し伸べてくれる日が

幼い頃に何もできなかった自分を

大人になってやっと
自分で自分を救える日がくるかもしれない


辛いときは何も改善なんかされない

助けてなんて言えない

助けられた後が怖いとすら思ってしまう


それでも生きてさえいれば

どんなかたちになるかはわからないけれど

いつか何かに誰かに

救われる日がくる可能性がある


今日はそんなお話でした

おやすみなさい

ひろみ