☆☆7行で分かる世界のこと☆☆
カバールという金持ち達の集まりが世界の国を支配
米国ヒラリー達や世界中の政治家達ともつながりが
カバールの犯罪やカネの不正を警告する同盟が奮闘
トランプも悪事を暴露し新しい金融システムへ奮闘
カバール側に闇の、トランプ側に光の宇宙人が援助
私達は25000年以来、闇の宇宙人に支配されている
大量逮捕と金融リセットと宇宙フラッシュが行われ
私たち・・・マジで?(字余り)
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☆22時から黒い貴族への瞑想、22時15分から女神瞑想を行っています☆6月まで毎日一人ずつ狙い撃ちしていきましょう笑。
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少し前から「卒業式」の夢をよく見るのです。
夕暮れ時、すべてが終わり、みんなが校舎の外で話したり、教室を見て回ったりして「ああ、本当に終わりなのだ。」と感慨深げに私もそれを眺めているのです。
「イベントがはじまれば、すべての人が解放されるんだなあ。あの人も、あの人も。いつか会えるかなあ。」
一度は会ってみたい人、もう一度会いたい人。
その中で過去を振り返ると、私は「学校」のことをよく思い出します。
日本のアニメには「学校」という舞台が頻繁に出てきます。映画でも「青春もの」は定番ですよね。
それは、あの場所こそが日本人にとって最後の「自由意志について考えることができた場所」だったからでしょう。それに対するノスタルジーが、みんなの心の奥にあるからなのかもしれません。
「あの頃の私」を上から眺めてください。
この世界は私たち一人一人の物語だったのです。
私は今でも入学式と卒業式をイメージできます。
すべては一瞬のようで、それでいて濃厚な時を送っていたその「感覚」はいつまでも忘れません。
けれど卒業後にこっそりと校舎に遊びに行ったら、対して時が経っていないのに全然雰囲気が変わっていたんですよね笑。そんなことを思い出します。ちょっと切なかったですね。
「あの場所にいた」ということ。その時、私たちは「一つのマンダラ」を描いていたのです。
私たち一人一人が「そこにいる」ということ。それは「その場」が生まれるための必須条件でした。
そう。私たちはあの頃、誰一人欠けても成立しない「奇跡の魔法」の中で過ごしていたのです。
100人いれば100通りの思い出がありますね。
学生になって宿題や塾や部活や、「やらなきゃいけないこと、やること」が急に増えてきて、ふと「何かについて考える」ということを授業中にしていた方も多いと思います笑。
私も窓の外を眺めたりぼんやり黒板を見たり、ノートに落書きをして隣の子と会話したり、既に何かの「流れ」に自分達が組み込まれ始めている中、もっと「自分について考える時間」をどこかで求めていた。そんな「言葉にならないキモチ」があの頃にはありました。
私はそのとき「把握」というキーワードをずっと探していました。
「自分のことを知らなければいけなかった」ことも分からなかったのです。ピュアピュアやな笑。
私には、だいたいの人のキモチが「見え」ました。
それが私にとって当たり前の「日常」でした。アニメの話やないで?笑
見渡せばクラスメイトの多くが「家族」との因果、そして内的葛藤を持っているのが分かりましたし、希望せずとも「みんなのキモチの情報」がレーザーのように自分の中に入り込んでくることはごく普通のことでした。
しかし「新しい世界」で過ごしていくうち、その感覚はあまりふつうではないことに気付きました。
新しい学校へ入り、初めてあらゆる「出会ったことがない人たち」に大勢囲まれ、そこで私は「私とは違う人たちだ!」くらいのことが分かったのです笑。
「私はみんなと感覚が違う。けれどそれをうまく言葉にできない!」
そんなじれったい、どうしたらいいのか分からないキモチをとにかく何とかしようと本屋へ行き、何回も数秘術の本を立ち読みしてましたね笑。なぜか笑。
その不審な姿を尾行していた友達に目撃され笑、私がひとつ動き出すと同時に「私という印象」もひとつ「定着」を始めていったのです。
そうやって誰かが私を発見し、私も誰かを見つけることで、すべてはスタートしていきました。
そして卒業式の頃にはようやく「自分」という「自然な立ち位置」がある程度分かったのです。
けれどもまだまだ自分が何者かが分からない時は、ついつい外側のことばかりを眺めてしまいます。
「あの子はいつも成績良くて羨ましいな〜負けてるな〜」とか「あの人に自分が一度なってみたいな〜」とか笑、意味もなく比べて落胆したりランク付けをしているのです。
「あの人にはこれがあって、私にはこれが無い。」
自然と教室内では「友達グループ」というものが形成され、「派閥単位での関わり合い」という意識を強つ持つ人も現れます。
「私はここに入ってるから、あなたもあの子と仲良くしないで。」
嫌い合ったり、牽制し合ったり。そういうキモチを持つ人はその重いキモチを常に教室中に飛ばして、ひとつの「少し暗い色」を空気にペイントしていました。
友達になる、ならない。
仲間外れにしたり、噂話で盛り上がったり。
それらはすべて欠乏感から生まれたものでした。
しかし私は「それぞれの魅力」を知っていました。
すべての人に独自の強さがあり、独自の魅力があること。すべての人には「噛み合う存在」がいるということ。それを心のどこかで分かっていました。
大切なのはその上で「ひとつにまとまる」こと。
個性があって、それによりお互い離れていても、それでもお互いのことを認めていること。
そんな「共同体」をいつかは作り上げたいという願いを、私はあの時から密かに抱いていたのかもしれません。
それでもあの頃、みんなが自分のことをまだ分からなかった。目の前にも、心の中にもたくさんの「もや」がかかっていた。
どうしたら満たされるのかも、それより自分がどうしたらいいのかもすべて手探りで、周りには色んな人がいて、時に劣等感を感じて、肝心の自分のこととなるとぼんやりとしていて。宿題よりも大切な「何か」を探していたのです。お互いがお互いを見つめ合って「答え」を探していたのです。
私もぼーっと電車に揺られ笑、ジョンレノンの「Across the Universe」を聴きながら、ずっと心が自分に言おうとしていること、その「すべての解」を探していました。いや、私の場合ははじめから「解」が手元にあったのだろうと思います。
でもその「フシギ」に触れたくないというキモチもどこかにありました笑。なぜならそれをいったん認めると、もう「ふつうの人間」にはなれないと分かっていたからです。
みんなと同じ、世間と同じ「ふつう」をはじめから味わえない。それはある種「寂しい感覚」です。
その違いは生まれた時から感じていたことですけど笑、思春期以降からは特に「ふつうでいたい」と望んでいました。
つまりは「自分以外の人間」になりたかった。誰もが一度は望むことですね。
しかしいずれは気づくのです。「私は他の人のマネなどできない。私は私にしかなれない」ということを。
私はそのことを「あの校舎」の中で学んだのです。
あらゆる人間がそこにいて、あらゆる形で関わって、イジワルする人、ウザい人、やたら面白い人、騒がしい人、頼れる人、趣味が合う人、いつも真面目な人、彼らのすべてが私にひとつのメッセージをくれたのです。
「『あなた』には、あなたしかなれないよ。」
私たちは「卒業式」に「大きな大きなギフト」をお互いに贈ったのです。
誰かになることをやめて、それぞれが「自分を手に入れるためのスタート」をプレゼントして、そして別れたのです。
自分のことがまだ見つからない「暗闇の中」でも、それぞれが窓の外を見ながらぼんやりと、しかし懸命にもがいていました。
「あの頃の彼らは今、何をしているだろう?」
イベントがはじまれば会えなかった友達にも多少は再会できるのかもしれないし、それは全く分からないけれど、あの頃よりも何倍も「はっきりとした意志」で私は彼らを助けることができるでしょう。
「未確認の軟体動物」だった時代を超えて笑、我々はしっかりと自分の足で歩を進める「自由意志の人間」に進化してきたはずです。
「あの頃の私」を上から眺めてください。
この世界は私たち一人一人の物語だったのです。
そうして自分を振り返って「少し幼かった」と思えるなら、「大きな意志」があなたの中に既にあるのです。あの頃には分からなかった「自分」を、もうたくさんの経験を経て手に入れているのです。
夕暮れ時、すべてが終わり、もう新しい場所へ移らなきゃいけない。
この校舎でたくさんのことを学んできた。色んな人もいた、色んなことがあった。
いつも座ってきた椅子。ここでたくさんの葛藤をしていた。
でもそれはみんながそうだった。みんながここに座り、そしてそれぞれに違う景色を見ていた。
ぼくたちはこの教室を出なきゃいけない。
もう振り返るのはこれで最後だから、たくさんのことを思い出す。
あの時ぼくたちは何を感じていた?
その「闇」のすべてが美しくて、でももうぼくたちはそこには戻らない。