読者になってくれた方ありがとうございました

前回初めてブログを立ち上げ、意気揚々と推敲を重ね乗っけたらとんだとんだ。
雲散霧消。これはめげまくりで、しばらく立ち上がれずでした。
 今回もこう書いてても消えてしまうのではないかという不安がいっぱい。
ヘルプをみたらそういう苦情がやまもりになっていたけど、このアメバって大丈夫?
改善されてるんだろうか。

まあ保存を祈りつつ書きます。

昔、「アートファクトリー玄」という会社にちょっといて、(今どうなっているかまったくわからん)、そのとき、このお題で上司に書けといわれて、980ノートで打ち込んだ原稿がでてきたのでそれをそのまま乗っけてみます。14年前。バブル崩壊直後。

お題「アートとは」

村上龍という作家が、昔、アートとか文学は必ず反社会的でなければならない、と言っていた。随分乱暴ないいかただと思ったが、いまだにそれを覚えている。もしそういう定義をしたら、コーポレイトアート(昔、こういう単語があったのよ!いまの人にはわからんだろうけど、解説は控えますー筆者註)は企業のイメージアップどころではなくなってしまうだろう。
ただ、こう考えたい。アートとはー
社会に人間が取り込まれていくとき、世界のあり方と自我の「ずれ」のはざまで発露されていくものだと。
  だとすれば、作品とは、表現者の現在であり、世界の現在である。それは反社会的であれ暴力的であれ、唯一自我を持ってしまった人間が世界と対峙し、超えていくときの肯定的な生命のあらわれであると。
 社会の空間に作品があって、それをひとびとが目にしたとき、なにかその時代を超えていくときのポジティブなエネルギーを感じること。
それが、今、私が考えるアートである。   了

どうなんじゃろ。こりゃあせいいいっぱい企業向けだけど。あれから14年がたち、あたしゃただのセールスマンなんじゃが。

はたして性別もわからず、年齢もわからない読者のかた!アートとは?などととわれて、ART FOR PEACEだとか、世界交流の、、、だとか地域復興のだとかいういうのは糞じゃ。

したがって上の文章も糞じゃ。

じゃあ個としての今のあんたはなに?

マシュー・バニー。

クレマスターの狂人。

これ今のおれじゃん!

これがわたしの考えるアートである。
はじめて一時間かけた記事が飛んでしまいました。ぐったり
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