ブログネタ:好きなラーメンの味は?
参加中
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ブログネタ:暑くて眠れない夜、何してる?
参加中ムシムシした夜が続いていますね。眠れないので、エアコンとかクーラーをつけてしまう時もついついあります。
私は幾度も幾度もアフリカに行き、家電がいっさい無い蒸し風呂のような夜を過ごしたことが多々あります。汗ばかりかいて眠れない夜。
そんな夜の中から飛びっきりの思い出となった一夜のお話をしましょう。
私はカメルーンのコーラップという場所に来ていました。
そこはアフリカ最古の熱帯雨林。赤道直下にある「コーラップ国立公園」は、氷河期から存在する森なのです。原生の森が残っています。高さ50mを超える巨樹が林立する森には、太古から続く、植物と動物や昆虫との不可思議な共存関係が存在しています。巨大な板のような木の根、50メートルの巨樹を絞め殺してしまうツタ…。茎も葉も無くいきなり花を咲かせる植物や、幹にいきなり実を成らす木。摩訶不思議な森なのです。
この森は許可をもらったもの意外は立ち入り禁止です。地元住民でさえ入ってはいけない。野生を守るために厳しいルールが敷かれていました。
有名な観光保護団体WWFと政府が森の入り口に管理事務所を作り、その近くにまだ実態のわからない動物の生態や植物の薬としての効能など研究できるような研究室と研究者が寝泊りする施設もありました。
エイズを治せる薬がこの森の植物から精製できそうだ、と研究する学者もいれば、アリと木の共生関係の研究をしている人も泊まっています。
森の管理事務所兼研究所の所長をしていたのは、まるでサンタクロースのような丸々して白い髪に白髭のおじ茶までした。ドイツ人の学者さんで今年で引退するというご年配の方です。ジャングルを生涯渡り歩き、その自然のからくりの解明と保存運動に人生を費やした人で、たくさんの思い出話を客人にユーモアたっぷりで話して聞かせてくれました。
私は取材の下見で一人でこの森の研究所に来ていました。所長さんは一番優秀な地元ガイドをつけて、森を案内させてくれました。森に入るのは日中しか許されません。大型のサルもいれば、気性の荒い、マル耳アフリカゾウもいるもりです。夜行性なので、昼間動けば危ない出会いも避けられます。すばらしいガイドのおかげで私は見たことも無いような不思議な植物、そしてジャングルの風景を堪能し、そしていろんな虫や小動物を観察することもでき、大満足でした。もっと見たい、という気持ちになったものの、日がくれる前に森から出て行かなくてはいけません。
その夜は、ひどい暑さでした。ジャングルのそばのロッジのテラスで所長さんと他の学者たちと一緒に夕食をとりながら、みんな汗だくになっていました。食後しばらく会話が続きましたがやがて一人ずつ、部屋に戻っていきました。私はジャングルのそばで過ごす夜に酔いしれ、これで最後だと思うと、目が冴えてしまって眠たくありませんでした。暑苦しさで眠れそうにも無かったというのも事実ですが・・・前の晩も疲れきってここに到着したものの、寝苦しくてあまり眠れなかった辛い一晩をすごしていたのです。私は部屋に戻るのは後に後にしようとしていました。
最後まで、私と一緒にテラスに残ったのは所長さんでした。二人汗をじと~っとかきかき、並んでおしゃべりしていました。彼のすばらしい体験談は夢中になることばかり。自然の奥深さは脱帽するものでした。でも、でも、本当に暑い!蒸し暑い夜です。二人は汗でベタベタ、気持ち悪いかんじがひどくなってきました。夕食前にシャワーを浴びてさっぱりして食事に参加したものの、もう、その効果は消えダクダクです。
とつぜん、所長さんが黙ってしまいました。ずっとおしゃべりを続けていた彼でしたので、少し妙でしたが、一緒にだまって風景を見ていました。するとぽつりと「モーツァルトはお好きですか?」と聞いてきました。私は「ええ」としずかに答えました。そして即座に「泳げますか?水着ありますか?」と聞いてきました。私は水泳には特に自信があるし、旅には必ず水着を持っていきます、と答えたものの、この近所にはプールはないし、川は暗くて流れは速いし、どうしてそんなことを聞くのかと不思議でした。所長さんはいたずらっぽい目をして、振り向き、「こんな暑苦しい夜に行くのにぴったりの所があるのです。ワシの秘密の場所へ案内してさしあげよう!秘密は守れますか?」とにんまり。
えええ?どこなの?こんな真夜中にどこにいくのかしら。秘密の場所って何?わくわく。
部屋に戻って水着を着て、その上から服を着なおしタオルを持って食堂に戻ると、まるまるとした所長さんニコニコ。
「静かにね。ついてきなさい」。
そして敷地の門のそばにある駐車場まで行き、所長さん専用のジープに乗らされエンジンをブルルとかけると施設の外へと出かけてしまいました。コーラップの森に入るつり橋のあるところまで連れられていったのです。つり橋の所でジープは止まらず、川沿いどんどん進んでいきます。道は無くなっていて、ほかの車の通った後もなく、草を踏み潰し、ヘッドライトの明かりだけを頼りに進んでいます。結構、川へ落ちる岸辺のふちを走っていて、落ちてしまわないのかハラハラです。所長さんずっと黙っています。どれくらい走ったときでしょう。土地が下がり川とほとんど同じ高さの岸辺になったところで、ジープが止まりました。
所長さんは強力なサーチライトで川を照らし、対岸を照らし、何かを探しているようです。
そして、「あった!」というような満足の笑みが顔にこぼれました。
「ちょっと荒い運転になるけど心配しないでね」と言うと、いきなりジープで川の中へと突っ込みました。周りは真っ暗です。水の流れがジープを押し流してしまいそうですが、ジープは着実に進んでいます。パワー全開で対岸の岸に上がりました。そこはジャングルの入り口です。道もなければ、車が通るスペースのない茂みだらけの熱帯雨林の端っこにジープで来て立ち止まりです。野生の獣たちもいる危険な森で立ち往生、どうするつもりなのでしょう。
所長さん「ここからが楽しいのだよ」とナタを取り出し、ジープのまん前の茂みの中へナタを振り回して数歩進んでいきました。10分もたたないうちに、なんと車が一台ほど通れる空間が切り取られ、車のヘッドライトをそこに向けると、なんと、その向こうには道のような空間、途中に木が茂っていないまっすぐなコースが続いているのです。
真夜中のジャングルのマジック・ロードです。
「ほらね、大丈夫。」「この先に素敵な場所があるんだよ。」と車に乗せられました。
そして所長さんは手を伸ばし、取り出したカセットテープを差し込んでプレーヤーをON。流れ出したのはモーツァルトです。
ボリュームを大にして、所長さんハンドルを握りながらニコニコ。時々私を見てはウィンク。
広大なジャングルの中でモーツアルトが響きます。異次元空間のような感覚に襲われます。湿度たっぷりの夜の森の香りも違います。全神経が敏感になっていろんなものが繊細に感じ取れるように自分が代わっていく気がしました。そして、ストップ!
突然、エンジンが止められ、ヘッドライトも消え、完全な暗闇です。隣に座っている大きなおなかの所長さんも、周りの森も、すべて見えなくなりました。本当の真っ暗闇。。。。
やさしい声が聞こえます。
「車から降りなさい、車の前に立ちなさい」そう言われ、手探りしながらそこに立ちました。暑いのに加え、背中には車のエンジンの熱が伝わり、ますます暑いです。ここで何が起こるのかな?
すると、すうううううっと涼しい風が吹いてきたのです。えええ???なんで涼しい風があるの?
すると雲が途切れ、空に満月が現れ、周りが一気に明るくなったのです。
目の前に・・・美しい泉が現れました。
月明かりでも、きらきら輝く泉です。
覗くとその透明度がわかるほど、底までくっきり見えるほどきれいな泉です。
「わああああ」と感動していると、「どうぞ泳ぎなさい」と所長さんに言われ、うれしくなって涙があふれてきました。手を水に入れると、なんともいい冷たさ。あわてて服を脱ごうとすると、紳士の所長さんは顔をそむけ、私が水の中に入るまで待ってくれました。
なんて気持ち良いのでしょう。もぐって、もぐって、全身で水のうねりをかんじて体の芯から生き返ったような気分です。
満月の光で、水中で目を開けても、見えます。広い泉の中で私は人魚になってゆく・・・
そして聞こえていました。水中でも・・・・モーツアルトです。大天才が生んだ曲はまさしくこの幻想的な場所にふさわしかったのです。音楽に、水に、温度に、空気に自分は溶けてしまうような、すべてと一つになってゆくようなすばらしい気分に染まりました。
所長さんは私を邪魔しないように、車のそばでそっと水に入り、ぷかぷか浮いていました。
ジャングルと泉のモーツアルト、それは暑苦しくて眠れなかった夜をパラダイスに変えてくれました。
所長さんの秘密、ここで初めて明かしています。もう、15年以上たっているし、、所長さんはその後、引退してドイツに戻り、妹と暮らしていましたが、妹さんからあるとき、彼が亡くなった知らせを送ってきました。所長さんが私に分けてくれた秘密はすばらしい贈り物でした。きっとこの泉を発見したのは神様が所長さんの人生のご褒美だったのではないのかなあと思えてきます。その生き方を忘れず、その精神を忘れずに私も生きて生きたい。
忘れられない、暑くて眠れない夜の思い出でした。
ブログネタ:教習所の思い出
参加中教習所の思い出、私の場合、3カ国において、4タイプの経験を重ねたというちょっと変わった過去があります。フランス、アフリカ、そして日本、ずいぶん違う形でハンドルを握りました。マイカー運転までのユニークな道のりをご紹介しましょう。
私は19歳の夏、暮らしていたフランス・パリで免許を取ろうとして、教習所に行きました。初日から道路に駐車された車に案内され、いきなり運転席に座らされました!車はマニュアル車。驚いている間もなく、車の操作を言葉少なに語られ、すぐに路上へ運転スタート!!ものすごい恐怖です。交通の少ない場所で練習するから、と言われたものの、そこに行くまでは町中を普通に運転していかなければいけない、心臓が鼓動で破裂しそうでした。
実技は全て道路で行われるフランスの教習所。危険な運転を重ねる生徒の横と座る講師は、足もとのブレーキペダルと脇のハンドルを巧みに操り、横からの運転で見事事故を防ぐスーパードライバーなのです。その技に、私は大感動しました。この路上での運転、やがて私は状況を読み取るという最高の訓練だと思うようになっていきました。
さて、筆記の試験を合格すると、次は待ちに待った実技試験。
と思いきや、それは1か月半先の「指定日」の「指定時間」となりました。
その日を開けておいて待っていましたが、結局直前にどうしても別件の用事が入り、日付変更を申請せざるを得なくなりました。するとそれは、また、2か月ほど待たされるずっと先の指定日と指定時間だと知らされました。
私は大学生の身でした。生物学科にいて、実習の授業が多く、訪れた実技試験日には再び行けずになってしまいました。悔しい思いで胸が張り裂けそうでした。次の予約を入れても、またずっと先の日程。今度こそ、と思いながら免許を取得する日を待ちに待っていました。
さて、20歳の春、私は大学の長期休みの際、アフリカのサハラ砂漠に行く日本人の通訳として同行するという幸運が巡ってきました。それは広大な砂丘に沈む夕日をながめるというロマンチックな時間を経験するだけでなく、土漠や小石が広がる大地に立ったり、風化によって不思議な形をした巨大な岩などが並ぶまるで別の惑星のような神秘的な風景を見るというすばらしい発見の旅でもありました。この時、雇われていたドライバーが見せる四輪駆動車で砂を突っ切る運転はなんて楽しそうだったこと!そんな思いが伝わったのか、夕方仕事が終わった後、少しずつ砂の世界での運転を教わりました。パリ・ダカール・ラリーコースにもなっているところです!もうわくわくです。運転はみるみる上達!現地のドライバーはもう立派な免許が貰えるレベルだとほめてくれます。町に着いたら申請しようと!しかし、ウキウキしたのもつかの間、町についてせがまれたのは賄賂でした。そう、免許証は試験ではなく申請に必要な正規料金以外に警察に渡す賄賂でGETする世界なのでした。それは無理、私は諦めてアフリカを去ったのでした。
さて、忙しくなりフランスで実技の試験を受けるタイミングを逃した私は、大学卒業後日本に移住してしまいました。そして最初からやり直し、ということで東京の教習所へ通うことにしたのです。一日走っても対向車一台にも出あわないような砂漠での運転はさすがに都会のとはちがいます。まして、日本はフランスやアフリカと違ってハンドルが右。きっちり習い直そうと決心しました。
さあ、なんてびっくりしたことでしょう。教習所の初日。狭苦しいサーキットでの運転です。講師にはもちろん、砂漠で4WDを乗りこなしていたことは内緒です。無免許運転ですもの。うぶっぽく行動したものの、第一回目の走行で講師に「運転、初めてじゃないでしょ」と突っ込まれ、動きがスムーズ過ぎと言われ、「いえいえ」と苦しい嘘を付き通しました。なんともカタツムリのペースの実技の練習にはイライラすることしばしばでした。でもレッスンを重ねるしかありません。そしてもう一つ、教習所で大きなショックを感じた出来事がありました。筆記のテストに向けての教室での授業です。始業時間に遅れる人は参加できないようにと、ベルが鳴ると扉に鍵をかけてしまうことでした。こんな時に地震がおきたらどうするのでしょう。そして何よりも人権侵害です。なにゆえ、人を閉じ込める権利があるのでしょう。とても不愉快な経験でした。一方、筆記試験を合格した後の実技試験はとてもいいシステムになっていました。いつでも試験が受けられるようになっています。確かに試験場は鮫洲で東京の中心からとても遠かったのですが、落ちても翌日にでもやり直せるという利便性は納得でした。本当に国が変わればこんなに免許までの道のりが違うのだなあとつくづく思いました。そして私は晴れて免許証を取得したのでした。
ところが・・・その日から次にハンドルを握る日まで、なんと7年も開いてしまったのです。東京に長く住むことはなく、世界中を常に巡っていく仕事についてしまった私、日本での短い滞在では自動車を必要とすることなく、どんどん時間が過ぎてしまったのです。そして7年のペーパードライバーの私がいざ車を買おうとした時、結婚ほやほやの夫が選んだのは左ハンドルの大型アメ車「アストロ」です。幅だけで2mします。教習所の自動車とまるっきり違います。狭い東京の道路をどのように走ればよいのでしょう。途方に暮れていました。そしてペーパードライバー用の教習所のレッスンを探すものの左ハンドル専用、大型車専用のコースは存在しません。
そんな時にインターネットで目にとまったのが出張教習でした。マイカーでペーパードライバーに教えるというものです。さあ、即日に申請しました。最低6時間分を先払いするという条件でしたので振り込みを済ませ、いよいよ先生が自宅まで来る日です。久しぶりの運転、いろんな経験をしてきたものの、何しろ長い時間が経ってしまっていて、よけいに気弱になっていた私です。ゆっくり指示に従いながらも、先生は私のハンドルさばきに青ざめていました。あっという間に2時間が過ぎ、あと4時間では到底一般道路を一人で走れそうにないことは私にも見えていました。高めのこの授業、どこまで費用がかかってしまうんだろうと不安に駆られた初日のレッスン終わりの時のことでした。「提案があるのですが、あることをしてくだされば、無料で無制限にお教えできますよ」と先生に話しかけられたのです。えええ??何?何をしなくてはいけないの?あやしい想像が頭をよぎります。「実はテレビで、この出張教習のサービスを紹介する話があって、テレビ局が取材したがっているのですが、顔にモザイクをかけずに出演してくれる生徒さんが見つからないのですよ。撮影に協力していただけるのでしたら無制限にお教えしますよ。」と。
おおおおお!無制限に、無料に。。。この大型アメ車を東京の狭い道路で乗りこなしたい、いつかは子供も乗せることにもなるし。これはチャンス!そして即座に引き受けました。さてさて次のレッスンからはテレビ局の撮影隊が同行します。車のフロントガラスの数か所に定点カメラが据えられ、ロケ車が前から後ろからくっついてきます。毎日の練習によくもまあ、付き合ってくるものだと、思うほどいつも来ています。そして私は確実に東京での運転、高速道路での運転、坂道、狭い一方通行、あらゆる駐車場をなんなくこなせるまでに進歩したのでした。20数時間のレッスンは実を結んだのでした。
そして待ちに待った放送。番組では幾人かの他の生徒を紹介したのち、メインのパートで長く登場してきたのは私でした。大笑いです、いい思い出のビデオになりました。
さあ、そのあとが思いがけないことの連発。夕方17時台のワイドショーに放送され、視聴率がよく問い合わせが多かったことから再放送が行われました。そして。。。。町を歩いていると、見知らぬ人に「運転、うまくできるようになりましたか」「車に慣れましたか」と声を掛けられるようになったのです。それはおよそ一年ほど続きました。テレビの威力はすごいですね。しかし、まったく知らない人に丸で知人のように話しかけられるってとても不思議な感じです。まあ、今になっては笑い話ですけどね。
今は運転大好きな私。ここまでたどり着くのにいろいろありましたが、いろんな人間模様や制度が垣間見えた思い出深い教習体験でした。
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我が家には大事にしている書があります。
「心」という一文字。
勢い良く、のびのびと書かれています。
これは多くの人がほしがった中で手に入れるのに成功したレアもの。
こちらです。
この書を見るたび、元気になります。
だって励まされている感じがするのですもの。ほら・・・
さてさて、この書を書いてくださった大先生の判、お見せしましょう。
はい、これは伊豆のシーパラダイス水族館のアシカ君が書いてくださった書。
口で筆をくわえて、ショーの最中に書いた一点もの。
判は鼻先に朱肉つけてペタ!!(笑)
みごとでした。
そして大勢の子どもたちが手を挙げる中、我が子に運よく渡されました。
大事です。
でも、本当にたくさんの元気、もらっています!!!
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フランスのニュースで今年に入ってから悲惨な飛行機墜落事故の報告が続いています。
ぞおっとします。そしてある墜落事故のことを思い出してしまいます。
20代半ばくらいの出来事。
仕事でアフリカに行くことになっており、日本にその国の大使館がないため、入国のビザをフランス・パリで取ることになりました。
パリでの手続きが終わり、夜行便でアフリカ入りをするという日のことです。用事が済んだので、私は晴れたステキな空の下で一日ゆっくり過ごしてから荷物を持って空港に向かうことにしました。
サンジェルマンやセーヌ河畔、散歩は気持ちよく、いつまでも歩いていたい気分でした。美しいショーウィンドーに見とれ、古い建物が発する歴史の香りにとろけていました。
ふと、あるパン屋さんの前を通ると、香ばしい焼き菓子の香りに足が止まり、見るとガラスごしに美しくおいしそうなケーキが並んでいます。「今日はパリとのお別れ。アフリカでは何を食べることになるのやら。。。」と、いうことでおいしそうなケーキを数個選んで買ってしまいました。少し高台になっている公園のベンチで美しいパリの風景を見ながらゆっくりとお菓子を味わい、うっとり~。
さてさて、夕方にもなりましたので、預けた荷物を引き取り、タクシーに乗り、空港に向かおうとしました。ところが車に乗っている間に私は急に気分が悪くなり、腹痛に襲われ、冷や汗が出てきて、運転手さんに急遽、病院に連れて行かれてとしまいました。こうして大事な出張の出鼻に飛行機をミスってしまったのです。
病院で医師に何を食べたり飲んだりしたのかと聴かれ、生クリームたっぷりのおいしいお菓子たちのことを素直に告白。そして、アフリカで蚊が媒介する恐ろしい病気、マラリアの予防薬も飲んだことを報告しました。すると、医師は笑い出し、この組み合わせがいけなかったことを説明されました。あーん、知っていればそんなドジは踏まなかったでしょう。
胃薬をもらい、その日はパリにまた泊まることになりました。結局、私の行きたかったアフリカの国に行く次の便は3日後にしかなく、遅れて、ようやく、暗黒の大地を踏むことができました。
その国では2-3日、首都での用事を済ませてから地方にある別の大都市へと飛んで別件を進めるという予定でした。
首都に4日遅れでやっと到着したその夜、私はホテルの部屋で安堵のため息をついていました。お菓子事件で大チョンボで始まった旅。これからしっかりしなくては。アフリカでの、女の一人旅はただでさえ危険なのに。
テレビをつけ、私のわかるフランス語で放送されるチャンネルを探して、その国でのニュースをチェックしようと思いつきました。
すると、ゴーゴーと燃え盛る炎が画面いっぱいに映っているニュース番組発見。
コメントを聞くと、大惨事です。国内線の飛行機がなんと到着寸前に墜落した模様です。墜落してまだ間もなく、生中継での映像がどんどん送られています。死者が多く、重症の人も命が危ないとのこと。どこのテレビ局もその事件の報道ばかりです。
そして私ははっとしました。そのフライトナンバーを聞いたときです。
うそっ!
あわてて、かばんの中、書類入れを開け、私が本来地方都市に行くために予約し、購入してあったチケットを取り出しました。予約を変更するのをすっかり忘れていたチケットです。そこに記されていたフライト名・・・・まさしく、今、テレビの画面に映っている墜落した飛行機だったのです。
前身震えに襲われ、息が苦しくなりました。
もし、お菓子事件がなかったら、私は乗っていた。。。。
後日、「生存者は5名」ということ。だが彼らの受けた傷は深く、その命拾いを無邪気に喜べないほどだとわかりました。
命拾いしたのは、私。
自分の気持ちに素直になって、ぱくついた、パリのおいしいお菓子、それが私の命を救ったのでした。
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一昨日は窓をあけっ放しの一日。すると一匹の赤ちゃんカマキリが天井にぶら下がっているのを見つけました。足が一本欠けています。
カマキリ大好きな我が家族。さっそく、世話をしようとやさしく捕まえて箱に入れました。
その日は与えるえさが見つかりませんでした。何しろ体が小さいので、そしてカマキリは自分より大きい餌は手をつけないのでので、えさ探しは大変なことになりそうです。
でも、昨日はいいもの見つけました。庭で見つけた虫の小さな卵です。
濡れたティッシュの先につけてカマキリの前でピラピラ動かしたら・・・
シャキンっといっぱしに捕まえて・・・
パクパク食べてくれました。
YEAH!!!!
2年前、8月末に一匹のカマキリが玄関の外の傘立てにいるのを見つけ、子供たちと一緒に飼ってみたところ、ものすごい愛着がわいて、なんと冬を越え翌年の3月末まで生きたという懐かしの思い出があります。
また、去年も、近所で買い物に行ったら私の肩に一匹、そして手提げカバンに別のが一匹(同じ日に)止まってきたこともありました。
森で見つけたことも。。。
いろんなカマキリとの出会いで素敵な時間をたくさん過ごしてきました。
でも、赤ちゃんは初めてです!!!ドキドッキ!
足は一本足りないけれど、この子も長生きしてほしいです。
そして、けさ、先ほど、大発見!!
Babyカマちゃんが夜中に脱皮していました!!!
今まで成虫しか飼ったことがないので初めてです。わくわくします。
脱皮って本当に神秘的な行為ですね。いつか目撃してみたいです。
大きくなあれ!
では、「カマちゃん」のお食事風景をどうぞ。
(カマちゃん、全体的に黄緑ですが、背中に黒と茶色の筋があって足がシマシマのおしゃれ君です。)
そして 動画です。
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「ママ~、しゃっくりだよ~、早く早く、お酢~」
と息子が言いながら走ってきました。
そうそう、しゃっくりにはお酢だよね。
フランス人だった私のおばあちゃまから教わったしゃっくりの止め方は100%止まります。
それは~・・・・
スプーンに粉砂糖を山盛りに入れて、その上からお酢を数滴たらすこと。
砂糖全体にしみるくらいかけます。
そして、一気にパクッと食べちゃいます。
終わり
試されてはいかがでしょうか。
(子供の頃、パリでいつもワインビネガーでやっていましたが、日本のお酢でも同じ効果がありますよ!)
昨日の夜、近所の公園でホタル祭りがありました。
子供たちと行ってみると、大きなテントがあって中が真っ暗になっていて、そこでホタルが見られるというしかけです。長い行列に加わって、いざ、見学。
暗いテントに入ると暗闇にピカピカ・きらきら光っています。
とてもきれい。暗闇の中のホタルの美しさに久しぶりに感動しました。
実は放し飼いになっているのではなく、いくつもの透明なケースに入っていてそれがたくさん釣るしてあったので、じっくり見ることもできました。一匹一匹がなにげに愛おしく感じてしまいます。
そして昔経験したホタルの素敵な思い出がよみがえりました。場所はアフリカ。
今はコンゴ共和国と呼ばれていますが、当時はザイールと呼ばれていた1988年、私は「イツリの森」におりました。
「イツリの森」はピグミーも住んでいれば、「オカピ」という珍獣が20世紀に発見された壮大な熱帯のジャングルとしても知られています。
この森で私は一人で一週間キャンプしました。ピグミーの取材でここに来ていたのですが、ピグミーの長が撮影隊に人数制限を依頼してきたので、最年少でアシスタントだった私がはずされ、ピグミーの集落から少し離れたところで待機することになったのです。
ジャングルの中で一人で一週間、なかなか無い経験です。どうなるんだろうと、不安があったものの、その時、昼と夜、それぞれものすごい楽しいことが私を待っていたのです。
昼は:カメレオンと遊ぶこと! かわいくてかわいくて、色が変わるのが楽しくて・・・
カメレオンに夢中でした。個体差があり、動くいが遅い子と、ものすごい素早い子がいたり、体の色を変えるのが遅い子と早い子がいて、カメレオンは奥が深いときゃぴきゃぴ遊んでいました。
そして夜:
最初の晩はドッキドキノドッキドキ。
焚き火のそばから離れられません。日が暮れたとたんに真っ暗です。
でも・・・・・
あれ?
回りをぐるり見渡すと、ある木が茂っている向こう側が何かしら明るい事に驚きました。
そろり、そろり、懐中電灯を持って光のある方に歩いて行きました。迷ってしまったらいけないと思い、テントの近くの木にロープの片方をつないで、それを手にして歩きました。
さて、茂みをいくつか超えると・・・・・・
なんというまぶしいこと!
正面に見えるすべてがイルミネーション!!!
ピカピカ光る点が何億もありそうな、無限のきらめき!!!
異次元空間???これ、何?
魔法の空間にいるような、何が何だかわからない不思議な感覚に!
本当に別世界、そして言葉を失くすほどの美しさでした。
私は光の中に歩いて行くと、今度は360度、上下すべてがきらめいています。きらめきは消えたりついたり、そしてきれいにゆっくり動いています。
自分が魔法使い、ティンカーベルになったような気分になります。
魔法のきらめく粉で遊んでいるような。。。
私はフランス生まれで日本でまだ暮らしたことがありませんでしたからホタルになじみがありませんでした。ですから、ホタルだと理解するのにちょっと時間がかかったのです。
一生忘れられない思い出です。毎晩私は魔法の国に行きました。最高でした。
それでも、思い出は少しずつ焦るものなのかな。
昨日、本物のホタルを久しぶりに見て、あのきらめきの強さと美しさを再発見したような気がしました。思い出ががもっと鮮やかによみがえりました。
大自然がどんどん消えていっているこの地球。ジャングルの奥地でいつまでもホタルの大群が美しい光の舞いを続けてられますように。
また、ホタルの本物に触れることで、一人でも多くの人が小さな生き物も私たち人間も同じようにこの星を分かち合っているんだという意識をもってほしい。生きものたちの命、息吹、いつも大きな感動を与えてくれます。
ワンクリック宜しくお願いします。