アフリカと関係深い日本人 知らなかった親しみやすさ!! | 失敗BANK

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自分で会社を起こしたり

独立してやっていると

ものすごくたいへん

泣きそうな思いもたくさん


そのへんの心境なんかを

ボソボソ書いてます。




アフリカと関係深い日本人


野口英世

$そろそろ始めっか!!


1000円札でおなじみの方



昔、偉人の本で読んだことを思い出す。



よくよく考えてみると
まったくわかってないな





1876年生まれの細菌学者

福島県生まれ

アメリカの
ペンシルベニア大学医学部を経て
ロックフェラー医学研究所研究員

数々の論文を発表して
ノーベル生理学・医学賞の候補に
何度も上がるほど

研究中に病気に冒され
アフリカのガーネで命をおとした


すっごい人だったんだなと思いきや

おもしろいエピソードも多数

いくつか取り上げてみますね
(by wikipedia)






・少年期の野口は家を疎ましく思い、死を覚悟するほど家を出たいと願っていた。高野川ほとりでのこのような口論があった旨、姉・野口イヌの後年の回想にある。イヌ「私は家を出て行くので、長男のお前があの家を継ぎなさい」清作「俺は継ぎたくない。姉さんが婿をとって継いでくれ。あんな希望のない百姓の家などいらない、姉さんにくれてやる。」押し問答を続け、しまいに清作は川に飛び込もうとする。清作「俺が家を継がねばならないなら死ぬ。」





・野口の父は酒好きの怠け者であり、野口家の貧困に拍車をかけた人物として、伝記では批判の対象とされることが多いが、本人は特に悪人というわけでもなく、性格的にはむしろ人好きで好印象な人物であったと言われる。後年、野口が恩師や友人たちを巧妙に説得して再三にわたり多額の借金を重ね、借金の天才とまで呼ばれたほどの野口の要領の良さ・世渡りのうまさは、良くも悪くも彼の父から受け継いだ才能であったと言われている。





・野口の母は農作業のかたわら、副業として産婆を営んでいた。産婆の開業について政府による新しい免許制度が創設され、全ての産婆に免許の取得が義務付けられた時、母は文字の読み書きができなかったが、近所の寺の住職に頼み込んで一から読み書きを教えてもらい、国家試験に合格、正式な産婆の免許を取得し、生涯に2000件近くの出産に貢献した。この点において、野口と母は奇しくも親子二代にわたって医学関係の仕事に携わっていたと言える。





・野口は貧乏育ちのためか金銭感覚に疎く、非常に金遣いが荒かった事で知られるエピソードが多い。留学前に血脇からもらった500円という大金さえも遊興で使い切ってしまった時には、血脇もさすがに呆れてしばらく言葉を失ったと言われる。それでも血脇は野口の才能を信じて金貸しの所へ行き、野口の為に再び留学資金を準備した。この事に野口は涙を流したと言われている。




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こうやってみて見ると
意外と人間味あふれる人ですね。






語録もまたおもしろい



・努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。



・ナポレオンは三時間しか寝なかった




・自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。