ずっと書くつもりでまとまらず…書けていなかった「性のバイアス」について。
一応、いくつまで続くか分かりませんが、①としておきます。
看護師として勤務していた中、いろいろな意味で記憶に残る患者は、やはりいます。
総合病院の消化器外科病棟で勤務中に出会った女性の患者。
年齢は70代くらいだったか…
何の手術で入院してきたのかも覚えていません…
ただ、覚えているのは、
避妊手術したことを、夫に秘密にしていたこと。
(手術目的で入院してくる患者には、患者情報として生活について・病歴・手術歴・輸血の有無など、いろいろなことを聴取するのが一般的です)。
当時は、看護師の個人情報の管理という視点から、
「あ~内緒なんだ。配偶者が来たとき、うっかり話したりすることがないようにしよう」という程度のものだったと思います。
しかし数年の間、なぜかこころに残っていて…
男性側でも可能な手術を、夫に内緒で女性側がしていたという、性の不公平感
手術という、「もしも」が付きまとうイベントなのに、夫は知らない…なぜ?
私が、自分で勝手にした解釈は、
夫が避妊に協力的でない
↓
妊娠したとして、中絶することは嫌だ
↓
それなら、避妊手術を選択しよう
夫には内緒にしておこう
こんな解釈で、男性の「性」に対する無知への悲しさとか、女性への弱者イメージで、たぶん勝手にもやもやしていました。
妊娠・出産、中絶、どれも男性が関わっていることではあるけれど、精神的・肉体的負担は女性のほうが大きい…
ヒドイ!って勝手に怒っていました。
実際の患者夫婦とは時代も違うけれど、もし息子たちがこんな状況を作り出す可能性があるとしたら、まー耐えられん…と。
でも、今回いろいろと考えていて…
こんな風に勝手に解釈する自分にも「性」に対するバイアスがあるんじゃないか?と、思えてきて。
「どうして」そう、考えたんだろう…
この女性に選択肢がきちんと用意されていたとして、その中で、そういう選択をした女性を自分が認めることができるのか?
男女とも公平であるべき、女性側だけ負担するのはおかしい、とか…正論(?)でこの女性の選択を非難したりしないだろうか?
配偶者には、手術をするのが難しい病気などがあったのかもしれない、とか…何かほかの理由があったのかもしれない…
場面だけ切り取って、男性は性に対して無知だとか、女性は妊娠出産などに関して負担が大きくて弱い立場だとか、
自分のバイアスでストーリーを作り上げていたかもな~と、反省しました。
実際のところは、その女性にしかわからない。
性教育をするうえで、自分のバイアスがあることを疑うことも必要では?
自分の「性」のバイアスが、子供に対してさらなるバイアスを生んでしまうこともあり得るのでは?と、思った出来事でした。