今日は不思議な日でした。

通勤中は車の前をトンボがたくさんよぎり、職場の入り口ではバッタがぴょんと飛び出して、「やけに虫に当たる日だな〜」と思っていました。

(私は虫が苦手です)

 

するとなんと、仕事中にふと気づいたら自分の腕にごそっと動く黒い影が…!

とっさに払い、同僚さんに退治してもらってから確定しましたが、なんとミスタージーが服についていたのです。

とってもびっくりしてその後の勤務中も違和感が払拭できず、なんだかどっと疲れた1日となりました。

夜になっても寝付けず、うとうとしながらはっと思い出したのは、 5年ほど前に奈良県の室生龍穴神社に行った時のこと。

山の中にありながら神聖な空気の漂う神社の境内でお参りした時、目に入ったのはとっっても大きな、ひっくり返ったミスタージー… (何度もすみません)

でも、その神社でその時感じたことがあったのです。

その頃今の旦那さんのことが信用しきれず、なんとなくの不安や不満がずっと続いていました。そして、決定打ではないけれど、なんとなく裏切られた、と感じる出来事があった直後の旅行でした。

そんな最悪の気持ちの時、大の苦手なミスタージーがこんなところでも目に入ってしまい、ますます気分が萎えそうになった時、ハッとしました。

嫌なことばかり考えているからそれがこうしてすぐ目の前に現実化しているんじゃないか?と。

 

つまり、旦那さんのことも、私からの気持ち、考えの結果ではないかと。

ミスタージーの衝撃は結構大きかったので、スパンとはいかなかったけれど、このことをその後何度も反芻して肝に銘じ、気持ちを切り替えて行った結果、辛い執着から離れていった経験がありました。

すっかり忘れていたけれど。

そして今、旦那さんとは信頼関係が強くなりゆったり心地よくいられる自分があります。

でも、、最近になって少し先の未来への不安からどうしても離れることができず、長生きしないでいよう、とか温暖化、自分の生き抜く力の弱さなどの不安・恐怖に毎日囚われています。

不安や恐怖しか見えていない今。

これが具現化したのが今日のミスタージーだったのではないかとふたたびハッとしました。

 

恐怖は具現化しやすい。

そして、未来の不安を変えられない、という自分の、自分たちの創造性をも否定する考え方しかしていないことに気づきました。

旦那さんに対して不安だった時期のことも再度考えてみて、なんとなく、不安や恐怖に飲まれている時の自分は受け身でいる、なんとかしてもらうことを待っている、または起こることに対してどうすることもできない、という「無力感」の塊になっていることがわかりました。

 

選択肢は無限にある。

受け身ではなく、自分ができることを動いていく、自分から愛していくこと。

そういうふうに切り替えていかないと恐怖は最も簡単に実現化するよ、という天からのメッセージなのではないかと今回は受け止めました。

思いは実現化する。 良くも悪くも。

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だから戦争の衝撃から平和への願いを強く持つ人が増え、世界戦争は終わりを迎えた。 そして私たちは幸せな時代を生きることができている。

 

祈り、想い、の集合体は実現化する、と昔視える方にも聞きました。

量子学的にもそうみたいですね(詳しくないですが)

 

恐怖はすぐ近くにいつもあるものかもしれない。

だけれど自分のフォーカスはコントロールできる。

見て見ぬ振りはしないけれど、コントロールできない恐怖があるからこそ、

平和な1日がとてつもなく幸せであることに気づきたい。

祈りと希望の光に向かう行動は継続したい。

 

恐怖に囚われて毎日を生きてしまうのではなく、身近な人、世界を愛する時間を増やしたい。

今日は、全く書籍に関する話ではないですが、思わぬ出来事から一歩考えを進めてみた日となりました。