FANTASY 2010
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

GTO

反町のGTOの再放送リアルにうれしい(*^^*)

今のAKIRAのGTOはセリフが
スッと入ってこんもん。

金八のような先生もいいけど
鬼塚のような先生のほうが
尊敬できるなぁ...

非選抜アイドル

「色は単独では存在しない。まわりの色と影響し合って存在する…」。ラジオから流れてきたCMの一節で、以前印象に残り書き留めた

 ▼なるほど、どんなに明るく輝かしい色も単色では目立たず、周りの地味な色があってこそ際立つ。色を「人」や「個性」と置き換えると、人生訓のようにも聞こえてくる

 ▼先日、同僚から薦められた話題本『非選抜アイドル』(小学館新書)を読んでいて、冒頭の言葉を思い出した。著者は人気アイドルグループAKB48のメンバー、仲谷明香さん。自身の生い立ちを平易な文章で綴(つづ)っている

 ▼仲谷さんは、過去3回あった人気投票「総選挙」で上位に選ばれなかった「非選抜メンバー」。脚光を浴びる機会は少なくても、自身を卑下することなく、地味な「色」を素直に受け入れ、前向きな姿勢が清々(すがすが)しい

 ▼主役を輝かせるのは脇役であり、勝者の陰には常に敗者がいる。アイドル本の枠を超えて読まれているのは、競争社会の中でつい見落とされがちな「自分らしさ」の大事さに気付かせてくれるからだろう

 ▼妬(ねた)まず、くさらず、自分が信じた道をまっすぐに進むこと。20歳のアイドルの言葉は、身の程を忘れ、ないものねだりで日々焦り、イライラばかりしている中年記者に、身の丈に合った生き方の大切さを教えてくれる。(稲嶺幸弘)

週刊誌ジャーナリズム

 中(なか)づり広告の一番人気は週刊誌だろう。ぎっしり並んだ派手なタイトルだけで、一駅二駅は楽しめる。何割引きかで中身を想像し、なお読みたい買いたいと思わせれば、編集部の勝ちだ▼日本の週刊誌の草分け、「週刊朝日」と「サンデー毎日」がきょう、そろって卒寿を迎えた。1922(大正11)年の春、毎日新聞が週刊誌を出すと知った朝日は、ひと月ほど前に出した旬刊誌を模様替えし、同じ日にぶつけた▼以来、あまたの週刊誌が生まれては消えた。黄金期は、出版社系の「新潮」「文春」「現代」などが創刊された昭和30年代。女性誌や写真誌の興亡を経て、出版不況の今は多くが苦戦中と聞く▼「週刊現代」の名物編集長だった元木昌彦さんが、著書『週刊誌は死なず』で、生き残るための「初心」を記している。「少し品が悪くてやんちゃだが、自分たちが面白いと思ったことには、リスクを考えずに突き進んでいく。権力より反権力。強者より弱者。正義より興味」だと▼大衆の興味に沿い、権力や強者が知られたくない事実をさらす。これぞ真骨頂。ただ、面白さに目がくらむと誤報や名誉毀損(きそん)の危険も増す。訴えられての賠償は「向こう傷」では済まない額に膨らんでいる▼それでも、煙たい週刊誌ジャーナリズムは必要だ。不確かな情報があふれる時代、真実に肉薄するメディアは多様なほどいい。新聞やテレビの監視役もあろう。嫌みな書き方もされるけれど、さらに腕を磨いてほしい。もちろん人権感覚も。

四月一日は何と読む?

 四月一日さん。なんとも珍しい姓があるのを知ったのは文化部にいた時のこと。くらし面の茶の間に投稿されていた人で、同僚たちと「何と読むんだろう」と首をかしげた。

 「わたぬきさん」と読む。平安時代の宮中では四月一日を更衣の日と定め、冬服から夏服に替えた。それに合わせて庶民も綿入れの服から綿を抜いて袷(あわせ)にしたため、この日は綿抜(わたぬき)の朔日(ついたち)と呼ばれた。「暮らしのしきたりがわかる本」(山本三千子著・三笠書房)。

 江戸時代になると衣替えは年4回になった。それが6月1日と10月1日になったのは和服から洋服を着るようになった明治以降のことだという。千年の時が流れても庶民が暖をとったり涼んだりする方法に劇的な変化はなかったはずだ。

 暑さや寒さを和らげて、快適に生活するための工夫は何にもまして大切だっただろう。綿を入れたり抜いたりする手間も、さして苦にならなかったのではないか。四月一日をわたぬきと読むことは、四季の移ろいと折り合うための心を伝える符号のようでもある。

 ところで茶の間の四月一日美代香さんは日南市在住の元保育士で軽妙な筆致が持ち味。2003年6月の投稿。卒園児に自分のことを「びじん」と呼ばせる理由について「わたぬき」は呼びにくく「わ」を抜くと狸(たぬき)になってしまうとあった。

 新社会人という若者が町を行き交う。上司や先輩について歩く姿はどこかぎこちないが、2カ月もたてば、社会の水になじんでいるはず。胸いっぱいに詰まった初心という綿だけは季節が変わっても引き抜かず、そのままであってほしい。

視観察

 定番教材の芥川龍之介「蜘蛛(くも)の糸」は、地獄に落ちた泥棒が生前たった一つ見せた善行にお釈迦様が救いの手を差し伸べた話。結末は無残ながら、生き方は逝き方にも通じると教えてくれている。大震災後は殊に誰もが生き方探しに躍起だが、江戸後期の儒学者佐藤一斎の年輪思考も格好のお手本

▼広く知られる<少(わか)くして学べば則(すなわち)壮にして為(な)すあり 壮にして学べば則ち老いて衰えず 老いて学べば則ち死して朽ちず>も収まった「言志四録(げんししろく)」は西郷隆盛終生の愛読書。中で<視観察>の例えが興趣深い

▼自らの88年の境涯も踏まえつつ30歳までは<視=あるがままに見る>、30~50歳は<観=本質を見る>、50~70歳は<察=全体を把握>する時期。60歳でようやく世間万般が捉えられると諭す

▼人生50年時代の教示であり、一般に伝える賀寿の異称も15歳・志学、20歳・弱冠、30歳・而立(じりつ)、40歳・不惑、50歳・中老と続いて、60歳・耳順(じじゆん)還暦は意見も素直に聞き入れ、生まれ変われる頃合いとする

▼90歳・卒寿や100歳・紀寿、120歳・大還暦、一足飛びの250歳・天寿は不老長寿への強い願いを託したのだろう。祝いの色も順に赤・紺・紫・黄・金・茶。百から一を除いて白を最後としたのは、長くて99歳・白寿が寿命とも

▼とまれ今や還暦は洟垂(はなた)れ小僧、大還暦も夢物語でない超高齢社会だ。新たな旅立ちの時節でもあり、<視観察>を胸にくまなく見て感じて体得していきたい。全てが貯金となって年を経るごと利子も生み、卒寿や紀寿の頃には元金とも還[かえ]ってくる。

数字にまつわるお話

バイトの後輩が「3月14日に付き合った人って絶対に別れないらしいっすよー!」って言ってきたから

「なんでー?」って聞いたら

「3月14日は円周率の日(3.14...)で数字がずっと続くからです」って。

なぞなぞかっ!笑

あと結婚式のご祝儀って「割れ(別れ)ない」ために必ず奇数(3、5、7...万)の札を包むんやね。

まだ友達の結婚式とか行ったことがなくて知らなかったから驚かれた。

世の中は謎だらけ\(^o^)/

日々勉強です。

言葉と文字

言葉で伝わるものもあれば

文字で伝わるものもある。

言葉だったら本当に心の底から言っているのか分からないときもあるけど

文字だったら真剣な想いが伝わるときもある。

言葉は目には見えなくてすぐ空に消えちゃうけど

文字は目に見えて印象に残る。

電話とメール。

言葉と文字。

どちらも大切。

言葉でも文字でも伝え合うことが安心感につながる。

雨水

あすはもう、二十四節気にいう「雨水」である。降っていた雪が雨へと変わり、積もった雪も解けるころ…のはずだが、さにあらず▼むしろ、所によっては、山下達郎さんの曲『クリスマス・イブ』の一節の方がぴったりくるかも。♪雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう…。天気予報によれば、今週末も寒さは厳しく、北日本や西日本の日本海側では大雪になりそうだ▼各地の梅の開花も大幅に遅れているようで、やはり春の季語の「観梅」よりは、本来は冬の季語たる「探梅」がまだぴったりくる感じ。だが、さすがに「春が来た」と実感できる時も、もうかなり近くには来ているのだろう▼そして、今年の春は、例年にも増して、素晴らしい春になる予感がある。北大路魯山人だったか誰だったか、とにかくある食通は「美食のコツは」と問われ、ひと言こう言ったのだとか。「空腹」▼寒さに震え、早く早くと願っている私たちは、春という名の“ご馳走(ちそう)”を待って、もうかなり腹ペコだ。飢餓感が強い分、春の運ぶ花を、風を、その解放感のすべてを一層ありがたく味わえるに違いない▼楽しみにしていよう。その美しい季節は、屈(かが)み込みがちだった人には飛躍の場を、何かに行き詰まっていた人にはアイデアの源泉を与えてくれるかもしれない。スプリング(spring)とは春であり、バネであり、泉である。

20代の幸福感

「毎月のバイト代、何に使っているの?」「貯金です」。県内の某大学の近くで飲食店を営む知人が教えてくれた、今どきの大学生との会話だ▼かといって、彼らは決して貧乏ではないという。長年、学生をアルバイトに雇い、接してきた経営者の目には、「常にリスクを考えて生きている」ように映っている▼県内の大学生の就職内定率は43・7%(昨年12月1日現在)。2人に1人は社会のステージが決まっていない。そんな視界不良の状態では、蓄えに重きを置くのも仕方がない▼内閣府の調査では、20代の7割以上が生活に「満足している」と答えている。社会学者の古市憲寿さんによると、今の若者は車などの贅沢(ぜいたく)品を買う行為にステータスは感じず、ネットにつながりながら、それぞれが小さなコミュニティーで「身の丈にあった暮らし」を楽しんでいるという▼「ファミレスで300円のドリアを食べながら、スマホをいじっている時が幸せ」。テレビ番組で、出演者の若者が真顔で発言していた。不況期しか知らない彼らにとって、着飾り費消することを競ったバブルの時代は完全に「歴史」の一部だ▼20代で「身の丈にあった暮らし」を定め、安住するのも悪くはないだろう。一方で、自らを置く環境次第で「身の丈」も変わってくるのも確か。沢木耕太郎さんが近著「ポーカー・フェース」で書いている。〈背伸びをすることでしか伸びない背丈もあるのだ〉

節分

なんだか不安な日々を送っております。

時が経つのは早いなぁ。

自立しなきゃという意識が強くなってきた。

もう今年24になるからね。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>